なつぞら-猿渡竜男(新名基浩)のモデルは月岡貞夫

NHKの朝ドラ「なつぞら」に登場する猿渡竜男(新名基浩)の実在のモデルのネタバレです。

■なつぞら-猿渡竜男(新名基浩)のモデルは月岡貞夫

猿渡竜男(新名基浩)は、東映動画のコマーシャル部のアニメメーターである。

しかし、猿渡竜男(新名基浩)は、TVアニメを手がけたかったので、東洋動画がTVアニメに進出することになると、「百獣の王子サム」を企画し、採用され、テレビ班へ移って「百獣の王子サム」の原画を担当した。

さて、猿渡竜男(新名基浩)のモデルは、天才アニメーターよ呼ばれた月岡貞夫です。

月岡貞夫は新潟県の出身で、実家が映画館を経営しており、小さい頃からディズニーのアニメを観て育ち、フィルムを1コマずつチェックして、アニメを研究するような子供だった。

そして、小学生の頃から手塚治虫と文通をしており、手塚治虫からの要請を受けて、高校を卒業と同時に手塚治虫の漫画のアシスタントとなった。

まもなく、アニメ制作を念願としていた手塚治虫は、東映動画で長編アニメ「西遊記」を手がけることになり、アニメの仕事をメーンとした。

しかし、手塚治虫は多数の連載を抱えており、漫画の方から悲鳴が上がったため、手塚治虫は漫画をメーンにすることにして、代わりに漫画アシスタントの月岡貞夫と石ノ森章太郎を東映動画へ送り、アニメの制作を任せた。

アニメの描き方は、漫画とは全く違い、手塚治虫の描いたキャラクターは、ほぼボツとなり、月岡貞夫の手が加わり、ほとんどのキャラクターは手塚治虫と月岡貞夫の合作となった。

元々、アニメ好きだった月岡貞夫は、東映動画への入社を希望して、手塚治虫の事務所から東映動画に移籍し、長編アニメ「わんぱく王子の大蛇退治」でも作画を担当した。

驚異のスピードで仕事をこなすことから、「天才アニメーター」と呼ばれるようになった。

さて、昭和38年(1963年)に手塚治虫の国産初の30分TVアニメ番組「鉄腕アトム」の放送が始まると、東映動画もTVアニメへの参入を決める。

このとき、月岡貞夫は、ラドヤード・キプリングの「ジャングルブック」を参考して、東映動画のTVアニメ第1号となる「狼少年ケン」を企画し、原作・演出・原画を務めた。

朝ドラ「なつぞら」の99話で、猿渡竜男(新名基浩)が奥原なつ(広瀬すず)に、流線を描いてフレームアウトさせる手法を教えるエピソーがあった。

このエピソードも実話で、月岡貞夫はアニメーター大塚康生に、3コマにして、流線を4~5枚描けば、動いているように見えると教えた。

(注釈:流線でフレームアウトする手法は、月岡貞夫が考案したわけではなく、既にアメリカのアニメなどて使われていた。)

しかし、「狼少年ケン」は作画監督が置かれず、絵の統一が図られなかった。月岡貞夫は、これに不満を持ったという。

このため、月岡貞夫は、「狼少年ケン」の放送開始の3ヶ月後、昭和39年(1964年)2月に東映動画を退社し、アニメ制作会社「ナック」の設立に参加した。

なお、朝ドラ「なつぞら」のあらすじやモデルのネタバレは「なつぞら-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

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