エール-藤堂清晴(森山直太朗)のモデルは遠藤喜美治

NHKの朝ドラ「エール」に登場する藤堂清晴(とうどう・きよはる)のモデルのネタバレです。

■エール-藤堂清晴(森山直太朗)のあらすじ

藤堂清晴(森山直太朗)は小学校の教師で、音楽に情熱を傾けていた。古山裕一(窪田正孝)の担任となり、古山裕一(窪田正孝)の才能に気付いて、古山裕一(窪田正孝)を音楽の道へと導いた。

古山裕一(窪田正孝)が大人になっても、藤堂清晴(森山直太朗)の良き相談相手となる。

その後、川俣銀行の事務員だった菊池昌子(堀内敬子)と結婚して、子供を作り、幸せな家庭を築いていたが、召集令状が来て徴兵され、インパール作戦に従軍した。

そして、インパール作戦の慰問に来た古山裕一(窪田正孝)と再会するが、音楽会のリハーサル中に敵の襲撃を受けた。

このとき、藤堂清晴(森山直太朗)は、古山裕一(窪田正孝)を庇って敵の銃弾を浴びて死んだ。

スポンサードリンク

■藤堂清晴(森山直太朗)のモデルのネタバレ

朝ドラ「エール」に登場する藤堂清晴(森山直太朗)のモデルは、古関裕而の担任だった教師・遠藤喜美治です。

遠藤喜美治は明治24年(1891年)生まれ、福島県三春町の出身。実家は農家だったが、遠藤喜美治は長男ではなかったため、農家を継ぐことは出来ず、栗田小学校を卒業後、栗田小学校の小間使いをしていた。

遠藤喜美治は小間使いをしながら、勉強に励み、中卒検定に合格して、代用教師となり、さらに、代用教師を務めながら、勉強に励み、難関の文部省教員検定に合格して正式な教師となった。

遠藤喜美治は福島師範附属小学校に教師として採用され、古関裕而の担任を小学校3年から6年生まで務めた。

遠藤喜美治は音楽が好きで、型破りな教え方をしており、古関裕而は遠藤喜美治から歌唱と綴り方の指導を受け、音楽に目覚めていくのだった。

その後、遠藤喜美治は北海道の小学校に赴任し、教師をしながら勉強に励み、国語の教員免許を取得した。

その後も、遠藤喜美治は学問を志して上京し、忍岡高等女学校で教鞭をとりながら、夜学に通って学問に励み、私塾を開いた。

その一方で、東京で作詞家となった古関裕而と交流を持ち、栗田小学校から校歌の制作を頼まれたとき、古関裕而に作曲を頼んだ。

その後の詳しい事は不明だが、遠藤喜美治は昭和46年(1971年)3月に死去した。享年80だった。

小山田耕三(志村けん)のモデル山田耕筰が隠し続けた秘密のネタバレ

スポンサードリンク

コメントを投稿する

コメントは正常に投稿されていますが、反映に時間がかかります。




コメント欄

喜美治先生は、北海道のどこの学校に勤務していたのでしょう?ご存知の方はぜひご教示ください・

  • 投稿者-
  • 佐藤将寛

遠藤喜美治が勤務していたのは、北海道の八雲中学校です。

  • 投稿者-
  • 管理人