朝ドラ「エール」-双浦環(柴咲コウ)のモデルは三浦環

朝ドラ「エール」に登場する双浦環(ふたうら・たまき)の実在のモデルのネタバレです。

■エールの双浦環(柴咲コウ)のあらすじ

双浦環(柴咲コウ)は、世界的なオペラ歌手で、朝ドラ「エール」の主人公・関内音(二階堂ふみ)は双浦環に憧れ、声楽の道を志します。
エールの双浦環と三浦環

■浦環(柴咲コウ)のモデルは三浦環

三浦環は、明治17年(1884年)2月22日に東京府東京市京橋区で、柴田孟甫の娘をとして生まれ、幼少期から日本舞踊や長唄などを習っていた。

東京女学館で、音楽教師・杉浦チカと出会い、音楽の目指して東京音楽学校に入学し、滝廉太郎や幸田延に師事した。

明治36年7月23日、日本人による初のオペラ公演に出演して大成功し、東京音楽学校を卒業後、研究科に進んで声楽を研究する一方で、授業補助として声楽を教えながら、レコードも吹き込み、プリマドンナとして活躍した。

その後、夫と共にドイツ留学して、大正4年にイギリスでデビューを成功させ、渡米し、アメリカで「蝶々さん」を演じて好評を博す。

三浦環は、世界各地で活躍し、「蝶々夫人」の2000回出演を機に、日本に永住することに決め、昭和10年(1935年)11月に帰国し、以降は日本で活躍する。

昭和14年には、古関裕而の「船頭可愛いや」を聴いて、レコードに吹き込みたいと希望し、「船頭可愛いや」をレコードに吹き込んだので、古関裕而は小躍りするほど喜んだ。

関内音(二階堂ふみ)のモデル古関金子は、三浦環を尊敬しており、古関裕而は「船頭可愛いや」のお礼に、作曲した「月のバルカローラ」をプレゼントすると、三浦環は「月のバルカローラ」もレコードに吹き込んでくれた。

また、古関夫婦と三浦環は交流を持ち、一緒に相撲を観戦したエピソードなどが残っている。

しかし、三浦環は戦後の昭和21年に死亡。古関金子は三浦環の意思を引き継いで、声楽に復帰したが、古関裕而の多忙や子育てにより、古関裕而が作ったオペラ三部作に出演したのを最後に声楽を引退した。

ちなみに、「エール」では双浦環をスリムな柴咲コウが演じているが、モデルなった三浦環は巨漢で、和服を着ている写真は、どう見ても消えたお笑い芸人「コウメ太夫」に似てますから・・・残念!

いや、コウメ太夫は「チクショー」か。

(注釈:ただし、三浦環は若いときはもの凄い美人だったようです。)

なお、「エール」のモデルやネタバレは「朝ドラ『エール』のモデルとあらすじとネタバレ」をご覧ください。

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