エール-帝都ラジオと寅田熊次郎(とらだ・くまじろう)のモデル

NHKの朝ドラ「エール」に登場する帝都ラジオと寅田熊次郎のモデルのネタバレです。

■エール-帝都ラジオと寅田熊次郎のネタバレ

コロンブスレコードが新人歌手を応募することになり、佐藤久志(山崎育三郎)と御手洗潔(古川雄大)がオーディションを受けました。

しかし、オーディションに合格したのは、帝都ラジオの元代表取締役の息子・寅田熊次郎でした。

佐藤久志と御手洗潔は、不満に思い、コロンブスレコードへ抗議に行くのですが、寅田熊次郎に返り討ちにされました。

しかし、寅田熊次郎だけでは不安だった廿日市誉(古田新太)が、佐藤久志を研究生としてコロンブスレコードに残しました。

■エール-帝都ラジオと寅田熊次郎のモデル

日本初の民間ラジオ放送局は昭和26年9月に放送を開始した愛知県の「中部日本放送」なので、戦前に民間のラジオ局はありません。

したがって、戦前のラジオ局はNHKしかなかったので、帝都ラジオのモデルはNHK東京(JOAK)ということになります。

さて、寅田熊次郎のモデルは、数人の候補が居るのですが、中目徹(なかのめ・とおる)の可能性が大きいです。

中目徹は、福島民報新聞の社長・中目野雨の息子で、上野音楽学校を卒業して歌手として活躍後、福島民報新聞の社長に就任しました。

だから、帝都ラジオのモデルをNHK東京ではなく、福島民報新聞と考えると、中目徹が寅田熊次郎のモデルに近いのです。

■中目徹と古関裕而の関係

戦争末期、古関裕而が福島県の飯坂町立町に疎開していたとき、上野音楽学校を卒業した中目徹も疎開しており、妻の古関金子を含めた3人で小学校のピアノを借りて練習しました。

戦後の昭和20年11月、古関裕而が疎開先を引き払って東京へ戻るとき、飯坂小学校の校歌を依頼されました。

古関裕而は、飯坂町立町に世話になったので、通常の半額で作曲を引き受けました。

そして、古関裕而は、校歌を完成させると、校歌の発表を兼ねた演奏会を開き、校歌を置き土産に、疎開先を引き上げます。

この演奏会に歌手の伊藤久男を呼ぼうとしたのですが、伊藤久男は戦争責任を感じて廃人になっていたので、中目徹と古関金子が歌いました。

ただ、中目徹は寅田熊次郎のように日本コロムビアのオーディションは受けていないと思うので、寅田熊次郎は朝ドラ「エール」のオリジナルキャラと考えて良いと思います。

なお、朝ドラ「エール」の登場人物のモデルの紹介は「エール-モデルとあらすじとネタバレ」をご覧ください。

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