エール-佐藤幸太郎(さとう・こうたろう)のモデルは伊藤戊

NHKの朝ドラ「エール」に登場する佐藤幸太郎のモデルとネタバレです。

■エール-佐藤幸太郎のモデル

朝ドラ「エール」の早稲田大学の応援団員・佐藤幸太郎のモデルは、早稲田大学の応援団の幹部・伊藤戊です。

伊藤戊は、佐藤久志(山崎育三郎)のモデル伊藤久男の従兄弟だったので、東京に来た古関裕而と交流がありました。

そのようななか、早稲田大学は昭和5年度の早慶戦で慶應義塾大学に惨敗したため、応援団は新しい応援歌を作る事にして歌詞を募集し、早稲田大学高等師範部3年生・住治男の「紺碧の空」が選ばれました。

しかし、選考を務めた西條八十が、「紺碧の空」は作曲が難しいので、大金を積んで有名な作曲家に依頼するように助言しました。

早稲田大学は、これまでも中山晋平や山田耕搾などの有名作曲家に依頼していたのに、慶應義塾大学に勝てなかったので、誰に作曲を依頼するのかが問題となりました。

すると、佐藤幸太郎のモデル伊藤戊が、古関裕而に作曲を依頼することを主張します。

しかし、早稲田大学の未来を無名の新人に託すわけにはいきません。当然、反対の声が上がりました。

それでも、伊藤戊は古関裕而がイギリスの作曲コンクールで2等に選ばれた事を説明し、「過去は無いけど未来はある」と言って、応援団員を説得していき、古関裕而に依頼することが決まりました。

こうして、早稲田大学は「紺碧の空」を得て、昭和年6度の早慶戦で慶應義塾大学に勝利したので、「紺碧の空」は第6応援歌から第1応援歌へと昇格しました。

古関裕而は頼まれれば、敵味方も関係無く作曲しており、昭和21年に慶應義塾大学から応援歌の作曲を頼まれると、早稲田大学の承諾を得たうえで、慶應義塾大学の応援歌「我ぞ覇者」を作曲しています。

さらに、古関裕而は、昭和43年に、早稲田大学と慶應義塾大学の両校を応援する「早慶讃歌―花の早慶戦」も作曲しています。

なお、朝ドラ「エール」のモデルやネタバレは「エール-モデルとあらすじとネタバレ」をご覧ください。

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伊藤「しげる」さんの字は「戊」ですので、恐れ入りますが修正をお願いします。

『創部70周年記念 早稲田大学応援部史 伝統と誇りの継承 1219人の証言』(早稲田大学応援部稲門会、平成22年)373頁

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ご指摘ありがとうございます。「伊藤茂」から「伊藤戊」へ訂正しました。

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