朝ドラ「エール」福島三羽ガラスと「暁に祈る」のモデルとネタバレ

NHKの朝ドラ「エール」に登場する「暁に祈る」と福島三羽ガラスのモデルと実話をネタバレします。

朝ドラ「エール」のあらすじやネタバレは「エール-モデルとあらすじとネタバレ」をご覧ください。

■福島三羽ガラスを結成した経緯

「福島三羽ガラス」とは、日本コロムビアに在籍する作曲家・古関裕而、歌手・伊藤久男、作詞家・野村俊夫の3人のことです。

3人が福島県出身だったことから、「福島三羽ガラス」「コロムビア三羽ガラス」と呼ばれました。

そこで、今回は「福島三羽ガラス」が結成された経緯をネタバレします。

古関裕而と野村俊夫は幼なじみだったのですが、野村俊夫は父親が相場で借金を作り、子供の頃に引っ越していきました。

古関裕而が福島商業学校時代に、「福島ハーモニカ・ソサエティー」に参加しており、福島民友新聞社で記者をしていた野村俊夫と再会します。

野村俊夫は新聞記者として活動する一方で、詩を手がけていました。一日一作主義だったというので、かなりの数の詩を書いていたようです。

そして、古関裕而と野村俊夫は昭和4年に「福島行進曲」を作詞作曲し、福島ハーモニカ・ソサエティーの演奏会で発表しました。

その後、古関裕而が昭和5年に上京して日本コロムビアの専属作曲家となりました。

古関裕而は、野村俊夫に上京して作詞家になるように勧めており、野村俊夫は昭和6年に上京し、おでん屋を経営しながら、作詞家として活動を始めます。

そして、古関裕而がレコードデビュー曲に「福島行進曲」を選び、古関裕而と野村俊夫はデビューするのですが、「福島行進曲」は売れなかったので、野村俊夫は日本コロムビアの専属作詞家になれず、フリーの作詞家として活動を開始します。

一方、妻の古関金子が昭和6年(1931年)に帝国音楽学校へ入学します。

帝国音楽学校には、福島出身の伊藤久男が在籍しており、同じ福島出身で、住んでいる所も近かったこともあり、直ぐに親しくなりました。

伊藤久男は、昭和8年6月に日本コロムビアの専属歌手となり、昭和8年12月に古関裕而とのコンビで「をどり踊れば」を発売するのですが、「をどり踊れば」は売れませんでした。

さて、野村俊夫は、長らくフリーの作詞家として活動していたのですが、昭和14年に「上海夜曲」がヒットし、日本コロムビアの専属作詞家となりました。

こうして、福島出身の古関裕而・伊藤久男・野村俊夫の3人は、日本コロムビアの専属になり、「福島三羽ガラス」が完成して、いつか一緒に曲を作ろうと誓い合いました。

そして、そのチャンスは意外にも早くやってきて、「福島三羽ガラス」は「暁に祈る」を作る事になります。

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■暁に祈る-あらすじとネタバレ

日中戦争が泥沼化していくなか、昭和15年に、陸軍馬政局は、愛馬思想普及のため、松竹映画で「征戦愛馬譜・暁に祈る」を制作することを決めました。

そこで、陸軍馬政局は映画の主題歌「暁に祈る」の制作を日本コロムビアに依頼し、「福島三羽ガラス」が主題歌の制作を任されました。

歌詞を担当する野村俊夫は、軍部から何度も書き直しを命じられ、ようやく7回目でOKが出て、「暁に祈る」の歌詞を完成させました。

「暁に祈る」の歌詞が「ああ、あの顔で、あの歌で」で始まるのは、野村俊夫は何度も書き直させられて嫌気が差し、「ああ」とため息をついたからです。

さて、歌詞が完成すると、古関裕而が軍音楽部隊として中国を訪問した時の経験を生かして、曲を付けるのですが、流石の古関裕而も、出だしの「ああ」という部分の作曲に困ります。

そのようななか、詩吟好きの妻・古関金子が詩吟を始めたので、古関裕而は妻の詩吟を聞いてメロディーをひらめき、「暁に祈る」の曲を完成させました。

そして、伊藤久男が「暁に祈る」をレコードに吹き込み、レコードは映画「征戦愛馬譜・暁に祈る」に先行して発売されました。

は映画「征戦愛馬譜・暁に祈る」はヒットしなかったのですが、主題歌「暁に祈る」のレコードは大ヒットし、日本コロムビアに福島三羽ガラス有りとの世間に示しました。

「暁に祈る」は、古関裕而の三大軍事歌謡に数えられ、野村俊夫の最大のヒット曲となり、戦後、福島県福島市の信夫山第一展望台の前庭広場に「暁に祈る」の歌碑が建てられました。

ところで、主題歌「暁に祈る」は、愛馬思想普及のために制作されにも関わらず、歌詞に「馬」がほとんど登場しません。馬が登場するのは、3番と5番の2箇所だけです。

「暁に祈る」は、2番で輸送船で出征するシーンを歌っており、馬よりも輸送船のイメージが強いため、歌を聴いた人は輸送船の歌だと思い、陸軍船舶部隊(通称「暁部隊」)の歌だと思っていた人が多く居ました。

実際、戦争末期の「暁部隊」が、部隊歌のように「暁に祈る」を愛唱していたのです。

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