エール-村野鉄男(中村蒼)のおでん屋のモデルは野村俊夫の「太平楽」

NHKの朝ドラ「エール」に登場する村野鉄男(中村蒼)のおでん屋のモデルとネタバレです。

村野鉄男(中村蒼)のモデル野村俊夫の生涯については「エール-村野鉄男(中村蒼)のモデルは野村俊夫」をご覧ください。

■エール-おでん屋のモデルのネタバレ

朝ドラ「エール」の村野鉄男(中村蒼)が、おでん屋の経営を始めるので、おでん屋のモデルと実話をネタバレしておきます。

村野鉄男(中村蒼)のモデル野村俊夫は、福島民友新聞で新聞記者をしていた時に、ハーモニカバンド「福島ハーモニカ・ソサエティー」に在籍していた古関裕而と再会します(2人は実家が近所で、幼なじみでした)。

そして、昭和4年に古関裕而と野村俊夫で、「福島行進曲」を作り、同年秋に福島ハーモニカ・ソサエティーの演奏会で「福島行進曲」を発表しました。

その後、古関裕而は昭和5年に上京して日本コロムビアの専属作曲家になります。

野村俊夫は古関裕而から、上京して作詞家になるように誘われており、昭和6年に福島民友新聞を辞めて上京します。

しかし、当時は昭和不況のまっただ中で、大学を出ても就職が無いという厳しい状況でした。

野村俊夫は姉テウを頼って上京したのですが、姉テウが結婚していたので同居できず、日暮里に部屋を借りて住み、浅草の入谷でおでん屋「太平楽(たいへいらく)」を開きました。

おでん屋「太平楽」は屋台ではなく、ちゃんとした店舗のおでん屋だったそうです。

野村俊夫は職業としての作詞家を目指しているのではなく、東京で本業を見つけ、仕事をしながら、詩を書こうと思っていたようです。

そのようななか、古関裕而のレコードデビューが決まり、野村俊夫が福島時代に作詞した「福島行進曲」がデビュー曲に選ばれ、日本コロムビアからレコードが発売されました。

こうして、野村俊夫は、レコードデビューを果たすのですが、「福島行進曲」は売れなかったため、日本コロムビアは専属契約を結んでくれませんでした。

しかし、レコード会社との接点が出来たため、野村俊夫はフリーの作詞家となり、おでん屋「太平楽」で酒を飲んで歌いながら、気ままに歌詞を書くことにしました。

ところが、野村俊夫は大酒飲みなので、2年ほどで、おでん屋「太平楽」を飲み潰してしまいました。

朝ドラ「エール」では、古山裕一(窪田正孝)がお酒を飲むシーンがあるのですが、モデルの古関裕而は下戸で、奈良漬けを嗅いだだけで酔っ払うほどでした。

その代わり、古関裕而は、甘い物が大好きでした。

古関裕而は、慰問団でインパール作戦に従軍したとき、現地の参謀長が感謝し、「君はお酒を飲まないから」ということで、フランス製の大形チョコレート50枚、ヨウカン50本、ラオス族の民族音楽器などを古関裕而に贈りました。

その後、帰国して汽車に乗った古関裕而は、弁当を買おうとしたら、外食券が必要だと言われ、弁当を変えませんでした。

古関裕而が「しまった。旅館で作ってもらえばよかった」と後悔していると、前の席のおばあさんが大きなおにぎりを食べていました。

羨ましく思った古関裕而は、しかたなく、ヨウカンにかぶりつくと、おばあさんは驚いて古関裕而を見てました。

そこで、古関裕而は恐る恐る、弁当を変えなかったので、ヨウカン1本とオニギリ1個を交換して欲しいと頼むと、おばあさんは「1つと言わずに2つ取ってください。ヨウカンなど何年も食べてなくて夢に見ているくらいです」と喜び、ヨウカンとオニギリを交換してくれました。

このように、古関裕而はお酒が飲めなかったので、お酒のエピソードは無いのですが、甘い物のエピソードが残っています。

あと、古山裕一(窪田正孝)が吃音症(どもり症)なのは実話で、古関裕而の吃音のエピソードについては「エール-古山裕一の吃音(どもり)と古関裕而の実話のネタバレ」をご覧ください。

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