朝ドラ「エール」の「鐘の鳴る丘」のモデルと実話のネタバレ

NHKの朝ドラ「エール」に登場するラジオドラマ「鐘の鳴る丘」のモデルと実話のネタバレです。

■エール-「鐘の鳴る丘」のモデルとネタバレ

ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」は、朝ドラの原型ともいえる番組で、古関裕而と菊田一夫が手がけました。

そこで、今回は2人の出会いからネタバレしていきます。

古関裕而と菊田一夫の出会いは、昭和12年12月のNHKラジオドラマ「当世五人男」です。古関裕而は「当世五人男」で初めてドラマ音楽を担当しました。

古関裕而は、大ヒットする「営の歌」のレコードが売れ始めた頃で、菊田一夫は古川ロッパ一座の座付き作家として活躍していました。

古関裕而も菊田一夫も吃音(どもり)があり、お酒が飲めないという共通点もあったので、直ぐに親しくなりました。

古関裕而は「当世五人男」に続き、菊田一夫と一緒に「思い出の記」「八軒長屋」などのNHKラジオドラマ手がけました。

また、古関裕而は、菊田一夫に気に入られ、古川ロッパ一座の音楽も手がけるようになったようです。

そして、戦後の昭和20年、古関裕而と菊田一夫は、NHKからラジオドラマ「山から来た男」の制作を依頼され、再会しました。

古関裕而は、福島県の飯坂横町に疎開しており、当初は出来上がった脚本を送ってもらい、放送ごとに上京していたのですが、間もなく、家族とともに疎開先を引き上げ、東京の自宅へと戻ってきて、レコードの仕事も再開します。

昭和22年の春、菊田一夫は、GHQのCIE(民間情報教育局)ラジオ課のハギンスから、浮浪児を救済をテーマとした半年間の15分ものの連続ラジオドラマ(鐘の鳴る丘)を制作するように命じられました。放送日は毎週、土曜日曜の2日です。

アメリカのソープオペラ(昼間のメロドラマ)がCM込みの15分放送だったので、GHQは日本のラジオ放送にアメリカ式の15分番組を導入しようとしていました。「鐘の鳴る丘」は、そのテストケースの1つでした。

菊田一夫は、民放の開始を見据えて15分化を勧めていたのではないかと回想していますが、真相は分かりません。

さて、菊田一夫は、日本語と英語は違うので、日本語のドラマは最短でも20分は必要だと言い、即座に断ったのですが、最終的にハギンスから「被占領国の国民」と言われ、仕方なく、15分ドラマの脚本を引き受けました。

15分のドラマといえば、朝ドラを観ている人は、ピンとくるでしょう。この日本初の15分ラジオドラマが朝ドラの原型なのです。

さて、菊田一夫は「鐘の鳴る丘」と「風の口笛」という2つのタイトルを考えて提出すると、「鐘の鳴る丘」というタイトルが採用され、昭和22年7月5日にラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の放送が開始されました。

主題歌「とんがり帽子」は、作詞・菊田一夫、作曲・古関裕而、歌は川田正子で、合唱は「ゆりかご会」です。

ドラマ音楽を担当する古関裕而は「小編成では雰囲気が出来ない」として、予算が少ないと言うNHK東京の活山万司と対立したのですが、ハモンド・オルガンの導入を思いつき、東京管絃楽団の小暮正雄と打楽器演奏者1名という2名体制にしました。

しかし、次第に菊田一夫の台本が遅れるようになって作曲が間に合わなくなったうえ、その場その場で出す菊田一夫の指示も複雑なので、放送開始から3ヶ月ほどすると、古関裕而が自分でハモンド・オルガンを弾くようになりました。

さて、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」は次第に人気となり、「放送回数を増やして欲しい」という投書が来るようになりました。

すると、予定していた放送期間の半年が終わろうとしたころ、菊田一夫はハギンスから、放送日を平日5日間、放送期限は無期限にすると言われました。

菊田一夫は拒否するのですが、ハギンスは「こんな人気番組を辞めるなんてクレージーだ」と言い、取り合いません。

自分の手がけた人気番組を上に報告して出世に利用していた担当者もいるので、ハギンスも人気番組を続けたかったのかも知れません。

結局、菊田一夫は、ハギンスから「ポツダム宣言は知っているか」と言われたので、仕方なく、「鐘の鳴る丘」を継続しました。

ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」は生放送だったのですが、平日5日間となると、出演している子供達の問題が出るため、GHQが録音機材を提供し、「鐘の鳴る丘」は録音放送となりました。

昭和23年の春頃から、子供達の言葉遣いが悪いとして、苦情の投書が増えるようになってきました。

菊田一夫は、言葉の問題に対する批判の根底には、子供の民主主義と旧来依然とした家族制度のギャップがあったと指摘しています。

ハギンスは、菊田一夫を支持し、視聴者のクレームを相手にしていなかったのですが、昭和23年の秋になると、GHQの占領方針が変わったのか、ハギンスは「聴視者の意見を尊重するように」と言い出しました。

こうして、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」は、民主主義の孤児となり、菊田一夫は熱意を失っていまい、消すことの出来ない戦争孤児臭を引きずりながら、娯楽ドラマとして続けました。

そのようななか、菊田一夫は、歌手・能勢妙子と不倫を始めます。愛人の能勢妙子も人妻なのでW不倫です。

菊田一夫は妻と離婚するのですが、愛人の能勢妙子の方は夫が離婚に同意せず、泥沼に陥りました。

菊田一夫は不倫に思い悩み、それが台本の遅れにも繋がり、「鐘の鳴る丘」の収録にも影響してきました。

流石の古関裕而も台本が遅れてイライラしたそうです。

さて、菊田一夫は、古関裕而に能勢妙子への思いを綴った手紙を書き、日本コロムビアから能勢妙子のレコードを出させたいと頼みました。

古関裕而は完成した詩に曲を付けるタイプの作曲家だったので、それにふさわしい詩を書くように返事をしたのですが、結局、レコードの吹き込みは行われなかったようです。

さて、菊田一夫は、能勢妙子との不倫が大きく報じられてしまい、スキャンダルとなったので、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の中止を申し出たのですが、ハギンスは続行を指示したので、「鐘の鳴る丘」を続けていました。

しかし、菊田一夫は、ハギンスがアメリカへ帰り、メレデスが着任したので、昭和25年12月29日に「鐘の鳴る丘」が終わり、昭和26年1月4日からラジオドラマ「さくらんぼ大将」の放送を始めました。

その後、能勢妙子の離婚が成立したので、菊田一夫は宿願が適って、昭和26年11月に能勢妙子と結婚することが出来ました。

そして、「さくらんぼ大将」は昭和27年3月31日に終了し、昭和27年4月10日から伝説のラジオドラマ「君の名は」が始まるのです。

朝ドラ「エール」と「君の名は」のモデルと菊田一夫のネタバレ」へ続く。

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