美しい隣人-最終回の感想

青山和也が出演するドラマ「美しい隣人」の最終回「勝つ女」の感想の3ページ目です。

感想のトップページは「最終回でマイヤー沙希が死んだ」です。最終回のあらすじは「美しい隣人-最終回のあらすじ」をご覧ください。

ドラマ「美しい隣人」の最終回は、視聴者に解釈を丸投げした曖昧模糊とした結末だった。そういう意味では、ノベライズ本と同じ結末と言える。

ドラマ「美しい隣人」の最終回はつまらないと予想していたが、予想以上につまらなかった。ただ、ドラマの最終回はつまらないことが多いので、最近は、つまない最終回も楽しめるようになってきた。

ドラマ「美しい隣人」がつまらない最大の理由は、池で溺れて死んだ息子・隼人が死んだ理由が明らかにならなかった点である。

1年前の祭りの日に隼人はなぜ溺れて死んだのか。隼人は事故で死んだのか、殺害されたのか。あれこれと想像した部分に、答えがなかったので、ドラマ全体がつまらなくなってしまった。

隼人はなぜ、池で溺れて死んだのだろうか。私は、隼人は池の中に蛍の幼虫を見つけ、蛍の幼虫を捕ろうとして溺れたのではないかと思う。そう思う理由は2つある。

1つ目は、池の上流に「ホタルの会」が蛍を放流している小川がある点である。小川に放流した蛍は下流の池まで流れてくる。池に蛍の幼虫がいても不思議ではない。

2つ目は、マイヤー沙希(仲間由紀恵)が松井理生(南圭介)に、「猫って好奇心で死んじゃうんだってね。よせばいいのに、井戸をのぞき込んで、落ちて」と言った点である。

これは、「好奇心は猫をも殺す」というイギリスの諺を表しているのだろう。一説によると、猫の語源は「寝子(寝る子)」と言われている。猫は永遠に眠ることになった子供・隼人を指し、井戸は池を指しているのではないだろうか。

したがって、隼人は蛍の幼虫に好奇心を示し、池に落ちて死んでしまったと解釈できる。

諺と言えば、ドラマ「美しい隣人」では、矢野駿(青山和也)が牛乳をこぼすシーンがあった。

これは英語の諺「It's no use crying over spilt milk(こぼしたミルクを嘆いても無駄)」を表しているのではないか。これを日本語の諺に当てははめると「覆水盆に返らず」になる。

こぼれたミルクは何を表しているのか。ミルクは、手からこぼれ落ちた幸せではないのか。

マイヤー沙希(仲間由紀恵)は、お祭りの日に隼人という幸せを失ってしまった。しっかりと握りしめていれば、失うことがなかった幸せを。

矢野絵里子(檀れい)もまた、お祭りの日に矢野駿(青山和也)という幸せを失いかけた。しかし、矢野絵里子の元に幸せは戻ってきた。

第1話で、マイヤー沙希(仲間由紀恵)が矢野駿(青山和也)に、手を強く握らせるシーンがあった。このとき、マイヤー沙希は幸せをかみしめると共に、もう2度と手を放さないと誓ったのではないだろうか。「子役の青山和也は天才」へ続く。

美しい隣人-最終回の感想へのコメント

コメントありがとうございます。管理人です。

矢野絵里子(檀れい)がインターネット上に開設したブログ「ERIKOのホタル日誌」の6月12日付け記事によると、ほたるの会は6月12日に約50匹のホタルの幼虫を川へ放流しています。この時の水温は、17度だったとのことです。

また、「ERIKOのホタル日誌」の同日付け記事には、『駿も「怪獣みたい!」と幼虫に興味津々。』と書かれています。

「ERIKOのホタル日誌」の記事はノベライズ本に出ています。ドラマでも同じシーンがあったので、ブログの内容はノベライズと同じと考えて良いでしょう。

「ERIKOのホタル日誌」の6月12日付け記事から推理すると、池にホタルの幼虫がいた可能性が大きいです。

また、矢野駿(青山和也)が興味を示したのあれば、アッセンブルボーグを好きだった隼人も、怪獣に見えるホタルの幼虫に興味を示すと思います。

DVDの送り主については、どのようにも解釈できるので、誰が送ったのかは理解できませんでした。おそらく、それほど深い意味は無いと思います。

本文に詳しく書いておけば良かったのですが、絶対的に記事を書く時間が足りないので、ザックリとした記事になっています。ご了承ください。

  • 投稿者-
  • 管理人
  • -2011年3月18日