朝ドラ「おちょやん」-最終回と結末の実話のネタバレ

杉咲花が主演するNHKの朝ドラ「おちょやん」の最終回と結末の実話のネタバレを解説します。

■最終回のあらすじとネタバレ

昭和27年(1952年)、竹井千代(杉咲花)と天海一平(成田凌)が離婚して2年が過ぎた。

竹井千代(杉咲花)は水田春子(毎田暖乃)を養子縁組で実の娘にした。

新作の書け居ない天海一平(成田凌)は、松島寛治(前田旺志郎)から全てをぶつけるように言われ、「桂春団治」という喜劇を書き上げた。

ある日、熊田(西川忠志)は竹井千代(杉咲花)の元を訪れ、「道頓堀の舞台女優だと知って欲しい。僕の最後の仕事やと思てる」と言い、鶴亀新喜劇の舞台に立つように頼み、天海一平が書いた「桂春団治」の脚本を置いて帰った。

さて、天海一平(成田凌)の「桂春団治」は大ヒットし、新聞の書評でも絶賛され、NHKのラジオ番組に出演することになった。

それを知ったプロデューサーの酒井光一(曽我廼家八十吉)は、その日は「お父さんはお人好し」の読み合わせ日だったので、驚き、天海一平と竹井千代が鉢合わせしないように誘導することにした。

読み合わせの当日、酒井光一(曽我廼家八十吉)は台本の読み合わせを早めに切り上げ、竹井千代と天海一平が鉢合わせに成る事を防ごうとする。

ところが、花車当郎(塚地武雅)がニュースを聞こうとしてラジオを付けると、ラジオから天海一平の声が流れてきたのだった。

天海一平の声を聴いた竹井千代は、道頓堀の事を懐かしく思い、2年ぶりに水田春子(毎田暖乃)を連れて「岡福うどん」へ戻り、岡田シズ(篠原涼子)らと再開すると、鶴亀新喜劇のメンバーも「岡福うどん」に駆けつけてきた。

さて、水田春子(毎田暖乃)は看護婦になりたいという夢を持っていたが、勉強が苦手だったので、はじめから夢を諦めようとしていた。

それを気にしていた竹井千代は、水田春子(毎田暖乃)に喜劇を見せるため、2年ぶりに天海一平(成田凌)と朝日奈灯子(小西はる)と再会し、鶴亀新喜劇の舞台に出たいと告げるのだった。

こうして、竹井千代は再び鶴亀新喜劇の舞台に立ち、「お家はんと直どん」に出演するのだった。

スポンサードリンク

■最終回の実話のネタバレ

天海一平(成田凌)のモデル2代目・渋谷天外は、浪花千栄子と離婚した後、「桂春団治」を書いて大ヒットさせた。

松島寛治(前田旺志郎)のモデル藤山寛美は、「桂春団治」で人力車夫を演じたのが当たり役となり、ここから「喜劇界のプリンス」への道を歩み始める。

一方、竹井千代(杉咲花)のモデル浪花千栄子は、離婚後、花菱アチャコに見いだされ、花菱アチャコと共演したラジオドラマ「アチャコ青春手帳」で芸能界に復帰し、「アチャコ青春手帳」をヒットさせた。

その次に始めた「アチャコのほろにが物語 波を枕に」は全く当たらなかったが、3作目となる「お父さんはお人好し」が大ヒットして、10年以上も続く国民的ドラマとなった。

「アチャコ青春手帳」の時は浪花千栄子と花菱アチャコが親子だったのに、「お父さんはお人好し」では浪花千栄子と花菱アチャコが夫婦だったので、「なんで親子が結婚できるんだ」と苦情が殺到した。

しかし、しばらくすると、2人は本当の夫婦に間違われる様になった。

さて、竹井千代(杉咲花)と天海一平(成田凌)は離婚後、1度も会っていなかったが、 熊田(西川忠志)の頼みで、竹井千代は鶴亀新劇の舞台に立つようようだ。

これはドラマの創作で、実話では浪花千栄子は離婚後、松竹新喜劇の舞台には立っていないはずだが、2代目・渋谷天外と共演はしている。

浪花千栄子は、復活の切っ掛けを作ってくれたNHKにもの凄く感謝していた。NHKには足を向けて寝ないというほとで、連ドラもNHKしか出ないというほど、NHKに感謝していた。

浪花千栄子と2代目・渋谷天外は、離婚後は犬猿の仲で、いわゆる「共演NG」だったのだが、浪花千栄子は恩のあるNHKからの頼みで、ついに2代目・渋谷天外との共演を承諾した。

何の番組かは忘れが、2人が共演することになると、「ついに2人が和解した」ということで、当時は大きな話題になっていた。

しかし、実際は全く和解などしておらず、収録が終わると、スタッフが慌てて2人を引き離すという感じだったらしい。

■モデル浪花千栄子の最終回

その後、浪花千栄子は仕事が軌道に乗り、旅館「竹生」を経営し、事業を手がけ、女優としても名脇役として活躍していたのですが、昭和48年(1973年)12月22日に死去した。

後日、浪花千栄子の通夜に参加していた男性が、浪花千栄子の養女・南口輝美の元を訪れ、お通夜の時の浪花千栄子の死に顔について、「綺麗だった。生きているようだった。さすがは女優だ」と感心します。

すると、養女の南口輝美は、浪花千栄子の遺言を打ち明ける。

実は、浪花千栄子は死ぬ何年も前から、「私は女優なので、死んでも人様に汚い顔は見せたくない。ビンタをすれば、血色が良くなるので、私が死んだら私の顔を何度も何度もビンタしなさい」と言い、養女の南口輝美に自分の顔を叩かせ、ビンタの練習をさせていたのである。

このため、養女の南口輝美は浪花千栄子が死ぬと、泣きながら浪花千栄子の顔をビンタしていたので、浪花千栄子の死に顔は血色が良く、生きているような死に顔だったのだった。

なお、浪花千栄子については、自伝「水のように」が発売されています。私も読んだのですが、非常に面白かったです。

浪花千栄子「水のように」(楽天)

スポンサードリンク

コメントを投稿する

コメントは正常に投稿されていますが、反映に時間がかかります。