エール-水野伸平(みずの・しんぺい)のモデルは火野葦平

作曲家の古関裕而をモデルにしたNHKの朝ドラ「エール」に登場する作家・水野伸平の実在のモデルとネタバレです。

朝ドラ「おちょやん」のあらすじとネタバレは「朝ドラ「おちょやん」のあらすじとモデルのネタバレ」をご覧ください。

■水野伸平(大内厚雄)のネタバレ

古山裕一(窪田正孝)は、「若鷲の歌」を大ヒットさせ、軍事歌謡の第1人者となっていた。

そのようななか、古山裕一は報國音楽協会から戦地への慰問を依頼され、戦地慰問を引き受けるが、軍事機密ということで、行き先も不明だった。

古山裕一は、福島の母・古山まさ(菊池桃子)が倒れたという知らせを受けて、出発を1日送らせたいと願い出るが、報國音楽協会の山埼は「危篤では無い」として、許可しなかった。

こうして、古山裕一は戦地慰問へ行く事になり、この慰問で一緒だったのが、作家の水野伸平(大内厚雄)と画家の中井潤一(小松和重)だった。

さて、行ってみると、慰問先はビルマで、ビルマではインパール作戦が展開されており、作戦待ちで、ラングーンのホテルに滞在することになった。

やがて、水野伸平は中井潤一と一緒に戦線を観に行くことにして、兵士達のために書いた「ビルマ派遣軍の歌」を古山裕一に渡し、作曲を頼んだのだった。

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■水野伸平(大内厚雄)の実在のモデル

水野伸平(大内厚雄)のモデルは作家の火野葦平です。

火野葦平は明治40年(1907年)1月25日生まれ、福岡県遠賀郡若松町の出身で、従軍作家として活躍し、戦争小説「麦と兵隊」「土と兵隊」「花と兵隊」などが高く評価された。

昭和19年、火野葦平は古関裕而らと共に、インパール作戦の特別報道班員に選ばれて現地へと向かうが、インパール陥落まで時間があるので、ラングーンで待たされ、平和な時間を過ごしていた。

やがて、火野葦平は、向井潤吉と共に現地を観に行くことにしたので、軍部か頼まれていた「ビルマ派遣軍の歌」を書き、ラングーンに残る古関裕而に作曲を頼んで、現地へと向い、残った古関裕而は「ビルマ派遣軍の歌」を作曲した。

その後、現地を観に行った向井潤吉が戻ってくるが、火野葦平はさらに北ビルマのバーもまで足を伸ばしてから戻り、みんなに現地の悲惨な様子を語った。

戦後、火野葦平は戦犯作家として公職追放を受けた。昭和25年に公職追放が解除されると、再び作家として活躍したが、昭和35年(1960年)1月24日に自殺した。

火野葦平は、俳優の火野正平と親子と勘違いされることが多いが、親子ではない。

なお、朝ドラ「エール」のあらすじやネタバレは「エール-モデルとあらすじとネタバレ」をご覧ください。

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