エールの史実-「高原列車は行く」のモデルと実話のネタバレ

作曲家の古関裕而が歌「高原列車は行く」を作曲した経緯とモデルと実話のネタバレです。

朝ドラ「エール」の第22週のあらすじとネタバレは「エール-第22週「畠山まき子の秘密」のあらすじとネタバレ」をご覧ください。

■高原列車は行く-実話のネタバレ

NHKの朝ドラ「エール」では、福島県の農業会が古山裕一(窪田正孝)に「高原列車は行く」の作曲を依頼するが、実話は大幅に違っているので、史実を紹介する。

北海道出身の歌手・岡本敦郎は、戦後、武蔵野音楽大学を卒業して日本コロムビアの専属歌手となり、「朝はどこから」でデビューし、昭和26年に「白い花の咲く頃」を大ヒットさせ、歌手としての地位を確立した。

しかし、岡本敦郎は、もっと明るくて軽快な歌を歌いたかったので、福島出身の作曲家・古関裕而に相談した。

古関裕而は先に歌詞を作るタイプの作曲家だったので、福島出身の作詞家・丘灯至夫に相談して歌詞を書いてもらい、それに曲を付けた。

こうして出来上がったのが「あこがれの郵便馬車」という歌で、岡本敦郎は昭和26年に「あこがれの郵便馬車」をヒットさせ。

丘灯至夫は、サトウハチロウから「郵便馬車なんてない」と言われて驚いたが、古関裕而が「昔、北海道にあった」と教えてくれたので、安堵したというエピソードが残っている。

さて、この「郵便馬車なんてない」の大ヒットを切っ掛けに、乗り物シリーズが制作されていき、

昭和28年に「みどりの馬車」を発売し、昭和29年に「高原列車は行く」が制作されたのである。岡本敦郎・古関裕而・丘灯至夫の3人は昭和28年に「みどりの馬車」を発売し、昭和29年に「高原列車は行く」を発売したのである。

その後、乗り物シリーズとして、「登山列車で」「人工衛星空を飛ぶ」などが制作されている。

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■「高原列車は行く」のモデル

「高原列車は行く」のモデルは、過去に存在した福島県猪苗代町の私鉄のローカル線「沼尻鉄道(磐悌急行電鉄)」である。

福島県出身の作詞家・丘灯至夫は、子供の頃から体が弱く、学校も休んでばかりだったので、沼尻鉄道に乗って、沼尻温泉や横向温泉へ湯治に出かけていた。

そこで、丘灯至夫は、車窓から眺めていた福島の風景をイメージして、「高原列車は行く」を作詞した。

しかし、汽車好きだった古関裕而が作った曲は、軽快なテンポで、ヨーロッパを彷彿とさせるものだった。

曲を聴いた丘灯至夫は、イメージとかけ離れていたので、「これじゃ、まるでアルプスかオーストリアだ」と驚いたのだが、聞いているうちに「この詞には、この曲以外にない」と思うようになった。

そして、岡本敦郎の歌でレコードが発売されたのだが、予想外の大ヒットとなり、NHK素人のど自慢で、みんなが「高原列車は行く」を歌うので、NHKの担当者が頭を抱えて困ったというエピソードも残っている。

その後も、作詞家の丘灯至夫は乗り物をテーマとした歌を数多く作詞し、まだ作っていないのは「霊柩車の歌」と「乳母車の歌」くらいだと言い、もう作れないので、あの世で作ると言っていたのだが、平成2年に「霊柩車の歌」を作詞し、CDを発売した。

NHKの朝ドラ「エール」では、福島県の農業会が古山裕一(窪田正孝)に「高原列車は行く」の作曲を依頼するのだが、実際は丘灯至夫が作詞した乗り物シリーズの1曲として制作されたのである。

ちなみに、丘灯至夫は、舟木一夫の代表曲「高校三年生」を作詞した他に、「ハクション大魔王の歌」「みなしごハッチ」「小さな巨人ミクロマン」「ガッチャマンファイター」などのアニメソングも手がけている。

なお、古関裕而と菊田一夫の不倫のネタバレについては「朝ドラ「エール」の史実-古関裕而と菊田一夫の不倫の実話の解説」をご覧ください。

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