朝ドラ「エール」の史実-「モスラの歌」の歌詞の意味とモデルのネタバレ

窪田正孝が主演するNHKの朝ドラ「エール」に登場する「モスラの歌」のモデルとネタバレです。

■「モスラの歌」のモデルとネタバレ

朝ドラ「エール」の最終回は本編が無く、コンサート(紅白歌合戦?)という異例の最終回となる。

このコンサートで、藤丸(井上希美)と夏目千鶴子(小南満佑子)が、古関裕而の作曲した「モスラの歌」を披露する。

そこで、今回は「ラモスの歌」の実話をネタバレする。

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■「モスラの歌」のネタバレ

映画「モスラ」は、昭和36年(1961年)7月、古関裕而が51歳の時に上映されている。何年に作曲うしたのかは不明なのだが、映画の制作期間を考えると、前年の昭和35年に作曲していると考えられる。

古関裕而が「モスラの歌」を作曲した経緯は分らない。古関裕而は頼まれれば何でも作曲するうえ、自然とメロディーが沸いてくるという天才タイプで、頭の中で作曲してしまうため、作曲に関するエピソードは、ほとんど残ってないのだ。

日清食品の創業者・安藤百福のように、カップラーメンの開発に苦労したというエピソードがあれば、エピソードとして取り上げやすいのだが、古関裕而は天才タイプなので、面白そうなエピソードが無い。

さて、怪獣モスラは、太平洋にある架空の島「インファント島」の守護神で、この怪獣モスラを呼び出す歌が「モスラの歌」である。

古関裕而は、戦時中に中国や南方を慰問で訪れている。インパール作戦に特別報道派遣のメンバーとして従軍したときも、ミャンマーのラングーンに滞在して現地の音楽や踊りを採取している。

このため、「モスラの歌」は、古関裕而が戦時中の慰問先で聞いた音楽などからインスピレーションを受けて制作されたと言われている。

ところで、「モスラの歌」には、ちゃんとした意味があるのをご存じだろうか。

「モスラの歌」の歌詞は、インドネシアの地方の言葉で書かれており、ちゃんとした意味があるのだ。

歌詞を日本語に訳すと、「モスラよ、永遠の生命、モスラよ、悲しき下僕の祈りに応えて、今こそ蘇れ、モスラよ、力強き生命を得て、我らを守れ、平和を守れ、平和こそは、永遠に続く、繁栄の道である」となる。

なお、朝ドラ「エール」の実話やモデルのネタバレは「朝ドラ「エール」のモデルとあらすじとネタバレ」をご覧ください。

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