エール-小山田耕三(志村けん)ロス-遺書(手紙)と死因とネタバレ

NHKの朝ドラ「エール」に登場する小山田耕三(志村けん)が死去したので、遺書(手紙)と実話とモデルをネタバレします。

■小山田耕三(志村けん)が死去したネタバレ

朝ドラ「エール」の小山田耕三(志村けん)が最終回(第24週)で死去し、秘書が古山裕一(窪田正孝)に小山田耕三の手紙を届けた。

手紙には、小山田耕三は古山裕一の才能を恐れ、嫉妬したため、クラシックの世界へは来させず、庶民の音楽に押し込めたことを、後悔しているという内容が書かれていた。

そして、小山田耕三は手紙で古山裕一に謝罪し、先にあの世へ行くので、あの世で語り合いたいという事が書かれていた。

その手紙を読んだ古山裕一(窪田正孝)は小山田耕三(志村けん)を許し、あの世で語り合う事を秘書に約束したのだった。

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■小山田耕三(志村けん)の実話のネタバレ

実話を解説するには、古山裕一(窪田正孝)のモデル古関裕而が、古関金子と結婚する前まで遡らなければならない。

古関裕而は高校を卒業してニートをしていたところ、川俣銀行を営む叔父に招かれ、川俣銀行で働き始めた。

そして、川俣銀行で働いていたとき、イギリスの作曲コンクールの2等に選ばれ、イギリス留学のチャンスに恵まれた。

このとき、古関裕而は川俣銀行を辞め、文通相手の歌手を目指す古関金子と結婚したのだが、イギリス留学の話しは無くなった。

イギリス留学が無くなった理由については「留学よりも古関金子との結婚を選んだ」「イギリス留学の話しは誤訳だったので、留学の話しは勘違いだった」「世界的な不況により、留学の話しは取り消しとなった」などの説があるが、真相は分らない。

朝ドラ「エール」では、世界的な不況説を採用している。

それで、イギリス留学の話しが消えた古関裕而は、既に川俣銀行を辞めているので、川俣銀行には戻る事が出来ず、音楽家としての道を模索して、レコード会社に作品を送った。

すると、コロンビアレコードの米山正の目にとまり、米山正がコロムビアの顧問をしていた山田耕筰に相談すると、山田耕筰が「見込みがある」と推薦したため、古関裕而はコロムビアの専属作曲家になる事が出来た。

しかし、古関裕而は、クラシックを扱う「青レーベル」ではなく、流行歌を扱う「黒レーベル」の契約だった。

このため、山田耕筰は古関裕而の才能を恐れてクラシックではなく、流行歌の「黒レーベル」に追いやったという山田耕筰の陰謀説を唱える専門家が居るのだ。

朝ドラ「エール」では、この山田耕筰の陰謀説を採用しているのだが、実際に山田耕筰が古山裕而の才能を恐れていたという記録も証言も無い。

朝ドラ「エール」の最終回(第24週)で、小山田耕三(志村けん)が遺書(手紙)で古山裕一(窪田正孝)に、古山裕一の才能に知っていた事を明かし、謝罪する。

しかし、このような実話は残っていないので、小山田耕三の遺書のエピソードは朝ドラ「エール」のオリジナルと考えられる。

ただ、山田耕筰は、昭和39年10月の東京オリンピックの翌年、昭和40年(1965年)12月に心筋梗塞で死んでいるので、時期的には史実と一致している。

ちなみに、山田耕筰は、弟子の歌手・辻輝子を愛人にしており、戦後、2番目の妻と別れて、辻輝子と再婚している。

なお、朝ドラ「おちょやん」のモデルとネタバレは「おちょやん-あらすじとモデルのネタバレ」をご覧ください。

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