カムカムエヴリバディ-原作とモデルの実話

NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の原作とモデルの実話を解説します。

■カムカムエヴリバディ-原作と実話のネタバレ

朝ドラ「カムカムエヴリバディ」には原作はありません。オリジナル脚本です。

しかし、「カムカムエヴリバディ」には、平川唯一(ひらかわ・ただいち)という実在のモデルが居るので、平川唯一の実話を紹介します。

平川唯一(ひらかわ・ただいち)は明治35年(1902年)2月に岡山県高梁市で、農家の次男として生まれました。

朝ドラ「おちょやん」のモデル浪花千栄子が明治40年生まれなので、平川唯一の方が5歳年上になります。

ちなみに、朝ドラ「エール」のモデル古関裕而は明治42年8月生まれです。

さて、平川唯一は小学校を卒業して実家の農業を手伝っていたのですが、父親はアメリカに出稼ぎに行ったきり、戻ってきませんでした。

そこで、帰国するように手紙を書いたところ、逆に父親から「アメリカに来なさい」と勧められたので、16歳の時にアメリカに渡り、父親の元で働きます。

1年ほどすると、父親が帰ることにしたのですが、当時は今のように簡単にアメリカへ行く事が出来ない時代だったので、平川唯一はアメリカに残ることにしました。

小学校しか卒業していない平川唯一は、英語など話せなかったので、アメリカの日本人向け販売店で働いていたのですが、ときどき、英語しか話せない客も来るので、仕事で困るようになってきました。

そこで、英語の勉強を始めるのですが、上手くいかないので、仕事を辞め、アメリカ人家庭の書生にしてもらい、17歳の時に現地の小学校に入学しました。

アメリカは飛び級制度があるので、3年で小学校を卒業して高校へ進学。高校時代に弁論大会に出場し、決勝まで進ほど英語が上達していました。

その後、ワシントン大学へと進学し、演劇を学んで、昭和10年にワシントン大学を首席で卒業しました。

卒業後、セントメリーズ・チャーチ教会の副牧師となり、昭和11年に日本人の滝田ヨネと結婚し、昭和12年に長男が生まれました。

この頃になると、アメリカで反日感情が高まっていたので、平川唯一は妻子を連れて帰国し、NHKの採用試験を受けて、外国向け放送のチーフアナウンサーとなりました。

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■カムカム英語

戦後、平川唯一はNHKの通訳として、GHQと交渉していたのですが、NHK幹部の誤解を招き、NHKを退職します。

ところが、退職した1ヶ月後にNHKから英会話番組を依頼され、平川唯一は英会話番組を担当することになりました。

当時のNHKはGHQの監督下にあり、GHQの許可がなければ、番組は制作できないため、実質的にはGHQの意向と考えて良いでしょ。

さて、平川唯一は英会話番組を引き受けたものの、英語は話せても、英語を教える事は素人だったので困ってしまいます。

そこで、平川唯一は自分がアメリカの小学校で子供達と一緒に英語を学んだ事を思いだし、子供が母親から英語を学ぶように学べば良いのではないかと気付き、口まねという方法を思いついた。

さらに、平川唯一は敗戦で暗くなっている日本を少しでも明るくしたいと考え、童謡「証城寺の狸囃子」の替え歌で、「カム・カム・エブリバディ」という曲を作り、英会話番組のテーマ曲放送した。

すると、英会話番組が大ヒットし、平川唯一は敗戦国の日本で英会話ブームを起こしたのです。

しかし、英会話ブームはわずか5年で終わり、平川唯一のNHKの英会話講座も昭和26年(1951年)2月に放送を終了しました。

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