浪花千栄子が吉村公三郞の映画「西陣の姉妹」に出演できない理由

NHKの朝ドラ「おちょやん」のモデル浪花千栄子は、吉村公三郞の映画「西陣の姉妹」に出演出来なかったので、その理由をネタバレします。

■芸能界への復帰

浪花千栄子は、夫の2代目・渋谷天外の不倫が原因で、昭和25年に離婚し、昭和26年(1951年)に松竹新喜劇を引退して、みんなの前から消えた。

これは事実上の芸能界引退であり、浪花千栄子は花の師匠の2階を間借りして、ヒッソリと隠れ住んでいた。

しかし、翌年の昭和27年に、NHKのラジオドラマ「アチャコ青春手帳」を始めた花菱アチャコが、大阪弁が喋れて、自分のアドリブに対応できる相手役として、浪花千栄子を起用した。

浪花千栄子は、大阪へ行く電車賃も無い程に落ちぶれていたが、「アチャコ青春手帳」に出演したことを切っ掛けに、浪花千栄子の柔らかい大阪弁が話題となり、映画の出演依頼も舞い込んできた。

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■映画「西陣の姉妹」の出演依頼

浪花千栄子が芸能界に復帰して、最初に映画の出演依頼が来たのは、昭和27年、監督・吉村公三郞の映画「西陣の姉妹」だった。

大映の中泉雄光が吉村公三郞に、浪花千栄子を推薦したようだ。

浪花千栄子は、中泉雄光の紹介で吉村公三郞に会って面接を受けたのだが、もう1人、候補の女優がいた。

それが、関東の女優・東山千栄子だった。

出演するのは、西陣の織元の未亡人という役なのだが、吉村公三郞は浪花千栄子を起用するか、東山千栄子を起用するかで、迷った。

東山千栄子は戦前から映画に出演しており、演技の方は東山千栄子の方が上手いのだが、関東の女優なので、京都弁が喋れない。

一方、浪花千栄子は京都弁が喋れるが、演技の方がダメだった。

このため、東山千栄子に京都弁を覚えさせるのと、浪花千栄子に演技を覚えさせるのでは、どちらが早いか、ということになり、最終的に東山千栄子が起用されることになったのである

■映画「暴力」に出演

浪花千栄子は不採用になったが、吉村公三郞は「他の映画で起用する」と約束した。

その後、映画に出るようになった浪花千栄子は、昭和27年の映画「滝の白糸」に出演したとき、まだ映画になれておらず、あまりにもメイクが下手だったので、大映の社長・永田雅一が、「こんなメイクアップの醜悪な女優は使ってはならん」と激怒した。

このため、浪花千栄子は、いきなり女優生命が絶たれるというピンチを迎えてしまうが、吉村公三郞が約束を守って昭和27年の映画「暴力」に起用してくれた

こうして、浪花千栄子は映画「暴力」で好演して女優生命をつなぎ、以降は映画でも活躍するようになり、「大阪のお母さん」と呼ばれる名脇役になるのだった。

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