ちむどんどん-猪野清恵(いの・きよえ/佐津川愛美)のモデル

朝ドラ「ちむどんどん」に登場する猪野清恵(いの・きよえ/佐津川愛美)の解説と実在のモデルを紹介します。

猪野清恵(佐津川愛美)のあらすじ

朝ドラ「ちむどんどん」は、沖縄県の「やんばる地方」でサトウキビ農家を営む比嘉家の次女・比嘉暢子(黒島結菜)が主人公である。

食べることが大好きな比嘉暢子(黒島結菜)は、沖縄返還の年(1972年)に高校を卒業し、西洋料理のシェフを目指して上京し、東京で大城房子(原田美枝子)が経営するレストランの厨房で働く事になる。

猪野清恵(いの・きよえ)
出典:ちむどんどん

「ちむどんどん」に登場する猪野清恵(佐津川愛美)は、比嘉家の長男・比嘉賢秀(竜星涼)が関東を放浪中に出会う女性である。

比嘉賢秀は、猪野清恵の養豚場で働くようになり、ルーズな性格の比嘉賢秀は猪野清恵と何時も議論して戦うことになる。

さて、猪野清恵の養豚場は、沖縄県と大きな関係があるというので、モデルを予想しておきます。

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猪野清恵(佐津川愛美)のモデル

沖縄県には、「あぐー」と呼ばれる在来種の島豚(黒豚)が存在している。

沖縄では、在来種と外来種を区別するため、在来種には頭に「島」を付ける特徴があり、在来豚を「島豚」と呼ぶ。

さて、沖縄の島豚「あぐー」の起源については諸説があるが、室町時代の1385年に交易していた中国から沖縄に入ってきた豚が「あぐー」の起源だとされる。

そして、沖縄で豚が食用として普及したのは、江戸時代のようだ。

昔から、沖縄県では婚礼や祭礼の時に牛や馬を殺して振る舞う習慣があった。

しかし、牛は農耕に役立ち、馬は贈り物になったり、士族の乗り物になったりするので、江戸時代の1697年に琉球王朝は、牛や馬を屠殺して振る舞う事を禁じた。

これを切っ掛けに、沖縄で行事の日に豚を食べるようになったらしい。

ただし、沖縄人は琉球王朝の禁令を守らず、婚礼や祭礼の時に牛や馬を殺して振る舞っていたようだ。

●「あぐー」絶滅の危機

沖縄には、平日(ケの日)に食べる「日常食」と、行事の時(ハレの日)に食べる「行事食」があり、豚肉は「行事食」として定着したのだが、戦争の影響で「あぐー」の数が減少した。

さらに、戦後、ハワイに移民していた沖縄人らが、沖縄の食糧危機を救うため、350頭の白豚を沖縄に送ると、沖縄の生産者は生産性の良い白豚を生産するようになった。

豚のイラスト

元々、島豚の「あぐー」は行事食として食べられていたので、生産性の良い白豚に負けたうえ、外来種との交配などもあり、在来種としての「あぐー」は消滅していくのだった。

●「あぐー」の復活

朝ドラ「ちむどんどん」の節目は、沖縄県が本土に返還される1972年(昭和47年)である。

それから9年後の1981年(昭和56年)に、名護博物館の館長・島袋正敏が、島豚「あぐー」について調査したところ、絶滅していたと思われていた島豚「あぐー」が約30頭、存在している事が判明した。

ある養豚農家が、販売目的ではなく、自宅や親戚で行事の時に食べるために、島豚「あぐー」の生産を続けていたのだ。

(ただし、外来種が混じっており、純粋な島豚「あぐー」ではなかったようだ。)

名護博物館の館長・島袋正敏は、できるたけ純粋な「アグー」に近い18頭を集め、「あぐー」を保存するため、養豚場に生産を依頼するが、「あぐー」は生産性が悪いため、どこの養豚場も生産を引き受けてくれなかった。

しかし、北部農林高校が「あぐー」の復活に名乗りを上げる。

こうして、北部農林高校は、「アグー」を他の種類の豚と交配させてから、「あぐー」と交際させていく「戻し交配」により、10年の歳月を掛けて、1995年に在来種に限りなく近い「あぐー」を復活させることに成功したのだった。

●猪野清恵(佐津川愛美)のモデルは「あぐー」

おそらく、こうした実話から考えると、養豚場の娘・猪野清恵(佐津川愛美)のモデルは、沖縄の在来豚「あぐー」の復活がモデルになっているものと考えられる。

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