ブギウギ-ピアニスト・股野義夫(森永悠希)のモデル片野実雄【またの・よしお】

NHKの朝ドラ「ブギウギ」に登場するピアニスト股野義夫(またの・よしお/森永悠希)の実在のモデルとネタバレです。

ブギウギ-股野義夫(森永悠希)のあらすじ

朝ドラ「ブギウギ」の股野義夫
出典:朝ドラ「ブギウギ」など

股野義夫(森永悠希)は梅丸少女歌劇団(USK)のピアニストで、梅丸少女歌劇団のスター大和礼子(蒼井優)に密かに好意を寄せているが、気の弱いところがあり、告白できない。

昭和4年に梅丸少女歌劇団で労働紛争「桃色争議」が起きると、股野義夫は大和礼子や福来スズ子(趣里)らとともに会社と対立するが、股野義夫は会社から賄賂を貰ってしまう。

桃色争議は大和礼子らの勝利に終わるが、大和礼子は勝利と引き換えに梅丸少女歌劇団から退団するという条件を飲んでおり、梅丸少女歌劇団から退団する。

股野義夫は梅丸少女歌劇団から退団した大和礼子と結婚するが、大和礼子は子供の出産と引き換えに死んでしまうのだった。

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ブギウギ-股野義夫(森永悠希)のモデル

股野義夫(森永悠希)の実在のモデルは、松竹楽劇部のスター飛鳥明子(あすか・あきこ)の夫・片野実雄(かたの・さねお)です。

片野実雄は東京都の出身。作曲家・山田耕筰の弟子で、父親の転勤に伴って大阪に来て、松竹楽劇部でギターを担当していたようだ。

飛鳥明子は、昭和8年(1933年)に松竹楽劇部で起きた労働紛争「桃色争議」で紛争団のリーダーを務めて、松竹に改善要求を求め、勝利を勝ち取った。

飛鳥明子は桃色争議の責任者として処罰され、松竹楽劇部を退部するが、笠置シヅ子らの嘆願により、振付の指導者として松竹楽劇部に復帰する。

そして、飛鳥明子は松竹楽劇部を退団後に夫・片野実雄と結婚して子供を儲けたが、桃色争議から4年後の昭和12年(1937年)8月に腎臟炎を悪化させ29歳の若さで死亡した。

妻・飛鳥明子の実家は紀州徳川家の侍医の家系という医者だったので、飛鳥明子の治療方針を巡って、片野家と飛鳥明子の実家が対立し、片野家と飛鳥明子の実家は絶縁したという。

片野実雄は松竹楽劇部を退団した後、大阪のマンドリンバンドで指揮者をしていたようだ。

宝塚音楽学校に片野実雄の名前があるので、その後、片野実雄は宝塚音楽学校で指導をしており、昭和50年に枚方マンドリン合奏団を創立したようだ。

なお、朝ドラ「ブギウギ」の登場人物のモデル一覧は「朝ドラ「ブギウギ」の実在のモデル一覧」をご覧ください。

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