南極物語-南極観測隊が樺太犬の犬ぞりを採用した理由
樺太犬のタロ・ジロで有名な「南極物語」の実話「南極観測隊が樺太犬の犬ぞりを採用した理由」です。
- 南極物語-実話のあらすじとネタバレの目次
- 南極物語-日本が南極観測に参加する経緯
- 南極物語-朝日新聞の矢田喜美雄が南極学術探検隊を提唱
- 南極物語-朝日新聞の南極学術探検が国家事業へと発展した理由
- 南極物語-第1次越冬隊が発足した経緯
南極観測隊が樺太犬の犬ぞりを採用した理由
南極物語-
南極観測隊は継続して行われる予定は無かったので、当時の第1次南極観測隊は「予備観測隊」と呼ばれ、第2次南極観測隊は「本観測隊」と呼ばれていた。
そして、第1次南極観測隊は南極に基地を建設して帰国し、越冬をするのは第2次観測隊の役目だった。
しかし、第1次南極観測隊の副隊長に就任した西堀栄三郎が、「プリンス・ハラルド海岸の情報は全く無い。ぶっつけ本番で本観測隊が越冬することは危険だ。予備観測隊で越冬を経験し、情報を集めるべきだ」と主張したため、第1次越冬隊が発足し、越冬の準備が進められた。
そして、1956年(昭和31年)1月、南極観測隊に犬ぞりを使用することが正式に決定する。
当初の計画では、南極観測隊は雪上車を使用するため、犬ぞりを使う計画は無かった。
しかし、南極観測隊の副隊長として後から加わった西堀栄三郎が、犬ぞりの重要性を指摘し、第1次南極観測隊は犬ぞりを採用することになった。
日本初の南極探検隊「白瀬探検隊」も樺太犬の犬ぞりを使用していたし、各国の探検隊がハスキーやサモエドの犬ぞりを使用していた。ある意味、南極探検に犬ぞりは付き物だった。
西堀栄三郎は、北海道大学に居る極地研究の第1人者・加納一郎と相談しており、加納一郎も犬ぞりの使用を勧めていた。
さらの、西堀栄三郎の京都大学山岳部の後輩に、犬ぞりの研究をした梅棹忠夫がいた。
梅棹忠夫が日本で唯一、樺太犬と犬ぞりに関する論文を発表しており、梅棹忠夫の犬ぞり論文を雑誌に取り上げたのが、加納一郎だった。
外国のチームはハスキーやサモエドを犬ぞりに使用していたが、西堀栄三郎は「日本には樺太犬がいる。樺太犬の素晴らしさを世界に教えよう」と言い、犬ぞりに樺太犬を採用することを決めたのである。
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南極物語-借金をして樺太犬を購入
北海道大学には生態学の権威・犬飼哲夫が居た。犬飼哲夫は樺太犬研究の第1人者でもあり、西堀栄三郎は犬飼哲夫に頼めば、樺太犬は何とかなるだろうと考えていた。
そこで、樺太犬の採用が正式に決定すると、西堀栄三郎は北海道へ飛び、北海道大学の犬飼哲夫に樺太犬を集めるように頼んだ。
しかし、樺太犬を購入するお金は用意できていなかった。
西堀栄三郎が南極観測隊に加わった時には、既に南極観測事業の予算が組まれており、新たな計画に割り当てる予算は無かったのである。
このため、第1次南極観測隊が越冬する準備には、朝日新聞が寄附した1億円や国民からの募金4500万円があてられている。
南極観測は国家事業になったため、何をするにしても手続きに時間がかかった。国家事業ゆえの欠点だった。
しかし、樺太犬の訓練にも時間が必用なので、手続きなど待っていられない。
そこで、1956年(昭和31年)1月、北海道に飛んだ西堀栄三郎は「お金は何とかする」と言い、犬飼哲夫に樺太犬を集めるように頼んだ。
しかし、樺太犬集めも簡単ではなかった。
樺太犬とは樺太や千島列島に生息する犬だが、第2次世界大戦で敗北した日本は南樺太などを放棄しており、樺太で樺太犬を調達することはできなかった。
このため、犬飼哲夫は北海道内で樺太犬を調達することになる。
当時、北海道には991頭の樺太犬が生息していた。
しかし、樺太犬と言っても、他種の血が混ざっており、純粋な樺太犬は少なく、犬ぞりに適した樺太犬を選別すると、犬ぞりに適した樺太犬は49頭しかいなかった。
そこで、犬飼哲夫は銀行でお金を借り、犬ぞりに適した樺太犬49頭を買い集める。49頭で総額26万円だった。
当時の高卒公務員の初任給は5900円だったので、当時の26万円を現在の価値に換算すると約624万円になる。
こうして、犬飼哲夫は樺太犬を集めると、北海道稚内市の公園裏山に「南極学術探検・樺太犬訓練所」を開設する。訓練所は稚内市が好意で提供してくれた場所だった。
そして、1956年(昭和31年)3月20日より、「南極学術探検・樺太犬訓練所」で犬ぞりの訓練が始まる。もう春が訪れようとしており、残雪を使っての訓練だった。
南極物語-樺太犬のタロ・ジロは売られていた
「南極物語」の主人公とも言える樺太犬タロ・ジロは、こうして集められた樺太犬の中に居た。
樺太犬タロ・ジロの他にもサブ(もしくはサブロー)という兄弟犬が居り、3頭の兄弟犬は稚内の魚市場で1頭3000円で売られていたところを、買い取られ、稚内の樺太犬訓練所に集められた。
樺太犬タロ・ジロは樺太犬訓練所に居たのだが、子犬だったので、訓練には参加せずに遊んでいたようである。
なお、樺太犬タロ・ジロの兄弟犬サブは、病気で死んでしまったため、南極観測隊には参加していない。
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コメント欄
いい話だ。かんどうするーー