犬や猫の供出命令と献納運動

第2次世界大戦中の日本で行われた「犬や猫の供出・献納」のあらすじを簡単に紹介します。


供出(きょうしゅつ)とは「政府の要請に応じて金品を差し出すこと」で、献納(けんのう)とは「国家や団体に金品を差し上げること」である。
「犬や猫の供出・献納」とは、「犬猫の献納運動」「犬猫の供出命令」とも呼び、飼い犬や飼い猫を行政に渡す運動である。
時々、「犬のきょうしつ」と発音する人が居るが、「犬のきょうしゅつ」が正しい。「きょうしつ」では「犬の教室」になってしまうので注意されたい。
さて、「犬猫の献納運動」と似たものに、「軍用犬の献納」があるが、「犬猫の献納運動」と「軍用犬の献納」の2つは区別しなければならない。
「軍用犬の献納」とは、民間人が飼い犬を日本陸軍へ献納することである。シェパードなどの一部犬種は、帝国軍用犬協会(現在の日本警察犬教会)を通じて、軍用犬として献納していた。少なくとも、昭和12年(1937年)には軍用犬が存在している。
軍用犬の献納は任意であり、犬を帝国軍用犬協会に登録すると、犬の飼料などは国から支給されていた。登録された犬は、試験や検査を経て、軍用犬に採用されると戦地へ送られる。
「軍用犬の献納」に対して、「犬や猫の献納運動」は行政主導の政策であり、「犬や猫の献納運動」の対象となるのは、天然記念物などにあたらない愛玩用(ペット)の犬猫である。
昭和初期、日本は満州事変や日中戦争の影響で、毛皮が不足しており、日本帝国は毛皮を増やすために、ウサギの飼育などを推奨していた。
その後、日本帝国は、昭和16年(1941年)12月8日に真珠湾攻撃を行い、日本は太平洋戦争へと突入する。
そして、昭和19年(1944年)に軍需省と厚生省とが連名で「犬猫の供出命令」が通達し、「犬猫の献納運動」が始まった。
犬猫の献納運動の目的「極寒地で使用する毛皮が必用になったため」とされているが、犬猫の献納運動の主な理由は次の3つだと思う。
1・犬や猫の肉を食料にするため。
2・医師不足により、狂犬病の予防が出来ないため。
3・空襲時の混乱を避けるため。
東京が初めて空襲を受けたのが、昭和19年(1944年)の11月24日で、「犬猫の供出命令」が出た時には、もう東京は爆撃を受けており、第2次世界大戦も末期にさしかかっている。
確かに毛皮も不足していたが、戦況を考えれば、上にあげた3つが主な理由ではなかろうか。
実際に動物の毛皮を縫い合わせた戦闘服が残っているが、日本陸軍は「犬猫の供出命令」とは別のルートでも動物の毛皮を調達していたため、「犬猫の供出命令」で集まった犬や猫の毛皮が使用されたかは謎である。
「犬や猫の献納運動」は、犬や猫にとってみれば不幸な出来事ではあるが、戦時中の常識を平時の常識で図ることはできない。
ところで、犬にとって不幸な出来事と言えば、昭和時代にもう1つ大きな事件があった。それは、「南極物語」で有名な樺太犬タロ・ジロの置き去り事件である。
南極に樺太犬のタロ・ジロが置き去りにされた事件は、昭和史に残る出来事である。南極物語の詳細については「南極物語のあらすじとネタバレ」をご覧下さい。

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