永田武が第1次越冬隊の隊員を発表
第1次南極観測隊の永田武が南極大陸へ行く「南極物語」のあらすじとネタバレの「永田武が第1次越冬隊の隊員を発表する」編です。
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1957年(昭和32年)1月20日、第1次南極観測隊の隊長・永田武が、南極で越冬する第1次越冬隊の隊員11名を発表した。第1次越冬鯛は西堀栄三郎(53歳)を隊長とし、越冬隊員10名は以下の通りであった。
中野征紀(52歳)・藤井恒男(44歳)
立見辰雄(40歳)・大塚正雄(35歳)
菊池徹 (35歳)・砂田正則(31歳)
村越望 (30歳)・作間敏夫(29歳)
佐伯富男(27歳)・北村泰一(25歳)
元々、越冬隊の隊員は10名だった。文部省は越冬隊の隊員を10名と通達していたのだが、人数が欲しかった越冬隊の隊長・西堀栄三郎は「隊員10名に隊長1名を足して計11名」というトンチを効かせて、越冬隊を11名にしてしまったのである。
第1次越冬隊のメンバーは、現地発表となっていたため、越冬隊に選ばれたメンバー自身も誰が選ばれるのかは発表まで知らなかった。越冬隊のメンバー発表が現地発表となったのには理由があった。
そもそも、第1次南極観測隊(予備観測隊)は第2次南極観測隊(本観測隊)の為に南極を下見することが目的だったので、第1次南極観測隊に越冬計画は無かった。
しかし、副隊長として加入した西堀栄三郎が越冬計画を強く主張してたことで、予備観測隊も越冬することが決まった。
このとき、国は予備観測隊による越冬計画を許可したが、予備観測隊が失敗すれば本観測隊に影響すると考え、「現地の条件を整えば越冬を許可する」との条件を付け、越冬計画については公表しなかったのである。
こういう経緯があり、第1次南極観測隊(予備観測隊)の越冬隊の発表は、現地で行われることとなっていた。メンバー発表は行われたが、越冬隊が越冬するか否かは、まだ決定していない。
越冬隊を成立させるためには、南極大陸に接岸して、越冬に必要な資材を荷揚げしなければならない。
注釈:南極観測隊の全員が南極で越冬するわけではなく、越冬するのは1部のメンバー(第1次越冬隊では11名)だけである。南極に残って越冬するグループを越冬隊(冬隊)と呼び、越冬せずに帰るグループを夏隊と呼ぶ。「南極物語の黒幕は朝日新聞」へ続く。
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