南極越冬隊タロジロの真実-あらすじとネタバレ感想文

木村拓哉が主演するドラマ「南極大陸」の原作・原案となる北村泰一の小説「南極越冬隊タロジロの真実」のあらすじとネタバレを含んだ感想文です。


南極大陸のあらすじとネタバレは「南極物語のあらすじとネタバレ」をご覧下さい。
映画「南極物語」の影響で、樺太犬のタロ・ジロの置き去り問題がクローズアップされるのだが、「南極越冬隊タロジロの真実」の本質は、日本が南極観測を通じて国際舞台へ復帰することにある。
南極観測隊が方針としたのが「日本単独」で、「日本人が日本の装備で南極へ行く」ということに意味があった。それが、日本の国際舞台復帰にも通じる最大のテーマである。
第1次南極観測隊が凄いのは、ほとんどの装備を日本製で揃えたことである。
第2次世界大戦で負けた日本は、GHQにより航空機の開発が禁止されていたため、飛行機(セスナ180のサチ風号)は外国製だった。他にも外国製品を多少は使用したが、ほとんどの装備が国産品だった。
自国でこれだけの装備がまかなえるのは、アメリカとソ連以外にはなく、敗戦国の日本がこれだけの装備を自国でまかなえることは特筆すべき事である。
日本人が日本製品を使って南極で越冬することは、日本の技術力を世界にアピールするとともに、日本製品を世界に売り込むことにつながる。南極観測隊の「日本単独」というテーマは非常に重要である。
ただ、南極観測隊は「日本単独」に拘りすぎた面もある。南極へ行った経験のある外国人オブザーバーを招かなかったり、外国船に救助されることを嫌ったりしたため、樺太犬のタロ・ジロの置き去り事件を招いたことも事実である。
さて、日本が南極観測(南極学術探検)を行うことが決まった1955年(昭和30年)に、雪上車を生産していたのはアメリカとカナダと日本だけで、雪上車は非常に珍しかった。
通産省が「国民車育成要綱案(国民車構想)」を発表したのが、1955年5月18日である。国民に自動車が普及していなかった時代に、日本は雪上車を生産していたのだ。
日本では小松製作所(コマツ)が雪上車を生産しており、第1次南極観測隊は、小松製作所のKC20-3S型ガソリン車2両、KC20-3R型レッカー車(ガソリン)1両、KD20-T型トルコン車(ディーゼル)1両の計4両を南極へ持って行った。
当初は雪上車を持って行くため、犬ぞりを使用する計画は無かったのだが、後に第1次越冬隊の隊長となる西堀栄三郎が犬ぞりの使用を提案し、第1次南極観測隊は犬ぞりを採用することになった。
外国の観測隊は、ハスキー犬などを犬ぞりに使用しているのだが、ここでも「日本単独」のテーマにそって、西堀栄三郎が樺太犬の使用を決定した。
樺太犬は樺太で発祥した犬だが、1955年(昭和30年)当時の樺太は日本の領土ではなかったので、樺太で樺太犬を調達をすることができず、西堀栄三郎らは北海道に残っている樺太犬を集めるている。
注釈:日本は第2次世界大戦で敗北し、1951年(昭和26年)のサン・フランシスコ平和条約で、南樺太を放棄し、その後はソ連(ロシア)の実効支配が続き、樺太は「サハリン」と呼ばれている。
南極越冬隊タロジロの真実-あらすじとネタバレ読書感想文の中編」へ続く。

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コメント欄

犬そりを提案したのは菊池徹ではありません。西堀栄三郎が師事する加納一朗に忠告され、みずからも犬そりを「考ええていたのでそうなった。菊池はとうふうこ訓れん後の犬の面倒をみることから犬かかりに起用されたのが真実。元第一次越冬隊。たろじろはっけんしゃ本人

  • 投稿者-
  • 北村泰一

コメントありがとうございます。加納一朗が手がける専門誌に、梅棹忠夫(うめさお・ただお)の犬ぞり論文が載り、西堀栄三郎が梅棹忠夫の論文を参考にした件ですね。
この辺りは、時系列がはっきりしなかったので、北村泰一さんのコメントを参考にさせてきただきます。時間があるときに本文の方に手を加えたいと思います。

  • 投稿者-
  • 管理人