刑法39条が出来た経緯や理由のあらすじとネタバレ
心神喪失及び心神耗弱についての責任能力を定めた刑法39条が制定された経緯や理由にいてのあらすじとネタバレです。
■刑法39条
刑法39条は、心神喪失及び心神耗弱についての責任能力を定めた法律であり、「1・心神喪失者の行為は、罰しない。2・心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」と定めている。
日本では、大きな事件になれば、なるほど、犯人の精神状態が問題となり、その度に刑法39条が議論されるようになる。
■障害者の歴史
世界的に障害者は、犯罪者に準ずる扱いを受け、施設に隔離された。初めは寺院や教会に隔離されていたが、1900年代に入ると、障害者を収容する巨大施設「障害者コロニー」に隔離・収容されるようになった。
こうした障害者を隔離する施設は実質的な監獄である。こうした施設が精神病院の前身であることから、精神病院は代理監獄という性質を有する。
世界的に障害者に人権が認められるようになってきたのは、1960年代に起きた「ノーマライゼーション」という運動以降である。
■明治時代の精神障害者
精神病は現代特有の病気では無く、古来から世界的に存在した。江戸時代は、精神病患者を「乱心者」と呼んだ。「狐憑き」と呼ばれた症状も、精神病の一種と考えられる。
江戸時代の精神病患者(乱心者)は、申請があれば、「牢屋に入れられる」「自宅に作った檻に入れられる」「病気の囚人や行き倒れを入れる『留』に入れられる」という措置が執られた。
明治時代になると、明治政府は、西洋の文化を取り入れ、脱亜入欧(だつあにゅうおう)を推し進めた。世に言う文明開化である。
江戸幕府は比較的、精神病患者(乱心者)に寛容であったが、一等国の仲間入りを目指す明治政府にとって、精神障害者は恥ずべき存在であった。
そこで、明治政府は精神病患者(乱心者)を厳しく取り締まるようになった。
明治政府は江戸時代の制度を次々に廃止したが、自宅に監獄を作って家族が精神病患者(乱心者)を監禁するという制度は残し、精神障害者の家族に精神障害者を自宅で監禁することを命じた。
なお、家族が精神障害者を自宅に監禁することを「私宅監置」と言い、明治33年(1900年)の「精神病者監護法」で法律化されたが、法律化以前より行われていた。
私宅監置は昭和25年(1950年)の「精神衛生法」によって廃止され、精神病患者を精神病院に入院させることになったが、私宅監置は実質的に1980年代まで続いた。
■刑法39条が導入された理由や経緯
心神喪失及び心神耗弱についての責任能力を定めた刑法39条が、導入された理由や経緯について。
刑法39条は、ドイツの法律を元に明治時代に制定された。法律的な議論を別にすると、次のような経緯から日本に刑法39条が導入されたという。
1・刑法とは、刑罰を定めることにより、犯罪を抑止する目的があるが、精神障害者にそのような理屈は通じず、犯罪の抑止にならない。
2・明治時代の日本では、精神障害者を自宅で監禁(私宅監置)しているので、罪を犯した精神障害者を刑務所に投獄しても意味が無い。
(メモ:当時の精神障害者に人権は無かったので、責任能力も認められない。)
■刑法39条と責任能力について
酒を飲んで自動車を運転した者は、飲酒する前に「飲酒する」「飲酒しない」という選択が出来たので、責任能力が認められて有罪となる。
精神障害者(心神喪失者)は、「心神喪失になる」「心神喪失にならない」という選択はできず、常に精神病状態なので、責任能力が認められず、無罪となる。
■心神喪失により無罪になった者
平成15年(2003年)に「心神喪失者等医療観察法」が制定され、心神喪失により無罪になった精神障害者は、精神病院への通院・入院する措置が執られるようになった。
■刑法39条と改正の議論
刑法39条は、精神障害者が自宅に拘置されていた明治時代に制定された法律であり、精神障害者の人権が保障されるようになった現代とは大きく状況が異なる。
こうした、時代や状況の変化から、刑法39条の改正を求める声も上がっている。