南極大陸のボツンヌーテンのネタバレ
第1次南極観測隊の実話「南極物語」のあらすじとネタバレの番外編「ボツンヌーテン探検旅行」です。実話「南極物語」のあらすじは「実話「南極物語」のあらすじやネタバレ」をご覧ください。
第2次南極観測観測隊が樺太犬タロ・ジロを置き去りにするあらすじは「南極観測船「宗谷」が第1次越冬隊を迎えに来たあらすじ」をご覧ください。
■ボツンヌーテンのWiki
ボツンヌーテンとは、南極のリュツォホルム湾沿岸にある山で、ノルウェー語で「奥岩」という意味である。
ボツンヌーテンは4つの嶺が連なり、最も高い中央峰は標高1486mで、第1次越冬隊の北村泰一らが登ったのは、この中央峰である。
ボツンヌーテンの場所は、オングル島に昭和基地から直線距離で約170km南に在り、陸路で行けば約200kmは必用となる。
昭和基地の在るオングル島は南極大陸ではなく、リュツォ・ホルム湾に在る島で、ボツンヌーテンは南極大陸に在る。オングル島と南極大陸の2つは氷で繋がっており、昭和基地から犬ぞりで陸路を行くことができる。
■第1次越冬隊のボツンヌーテン調査の目的
氷雪調査および地質調査
■第1次越冬隊の犬ぞり隊メンバー
中野征紀(リーダー)
菊池徹(越冬隊の犬係)
北村泰一(越冬隊の犬係)
樺太犬のタロ・ジロ・テツど15頭
■雪上車支援隊
雪上車は犬ぞり隊を支援するため、日帰りで犬ぞり隊に随伴する。雪上車隊のメンバーは立見辰雄・大塚正雄・佐伯富男の3名。
■ボツンヌーテン探検旅行の年表-1957年(昭和32年)
9月27日…デポを設営する雪上車隊が昭和基地を出発
10月3日…雪上車隊が昭和基地に帰還
10月7日…ボツンヌーテンへ出発する予定日
10月12日…雪上車が不調のため、犬ぞりに変更
10月16日午前9時30分…中野征紀の犬ぞり隊が昭和基地を出発
10月18日…円丘氷山を通過
10月20日…中継地点のデポに到着
10月21日…デュープビークネーゼに到着
10月25日…ボツンヌーテンに到着
10月27日午後4時…ボツンヌーテンの中央峰に登頂
10月30日…天体観測に成功
11月1日…ボツンヌーテンを出発
11月3日…中継地点のデポに到着・デュープビーカ湾の調査
11月4日・5日…バッタ島の調査
11月8日…円丘氷山を通過
11月11日…昭和基地に帰還
■ボツンヌーテン探検旅行のネタバレ
越冬隊の隊長・西堀栄三郎は、ボツンヌーテン調査の出発日を1957年(昭和32年)10月7日と決定する。
中野征紀ら6人はボツンヌーテン探検旅行のため、雪上車で物資を運び、ルート(経路)上に物資の補給地点「デポ」を建設する。
当初は1957年(昭和32年)10月7日に雪上車でボツンヌーテンへ向かう予定だったが、雪上車の不調のため、10月12日に雪上車による旅行を中止を決定する。そして、犬ぞりでの旅行へ切り替える。
越冬隊の隊長・西堀栄三郎はウィルド測量機の持参を命じるが、犬係の菊池徹が樺太犬の負担を減らすため、ウィルド測量機の持参に反対する。
最終的に犬ぞり隊のリーダー中野征紀がウィルド測量機の持参を決定する。その一方で樺太犬の負担を減らすため、各人が装備を厳しく吟味し、軽量化を図る。
立見辰雄は雪上車でボツンヌーテン探検へ出かける予定だったが、行けなくなってしまったため、銅版に越冬隊11名の名前を刻み、犬ぞり隊の北村泰一に託す。
1957年(昭和32年)10月16日午前9時30分、中野征紀・菊池徹・北村泰一の3名による犬ぞり隊が昭和基地を出発する。立見辰雄ら3名による支援隊も雪上車で随伴する。立見辰雄らは日帰りなので、途中でと別れて帰還。
中野征紀の犬ぞり隊は円丘氷山地帯で悪戦苦闘。円丘氷山は、緩やかな山がいくつも連なる。犬ぞりは、緩やかな坂道と深い雪に苦しむ。
クレパス地帯で北村泰一は下半身がクレパスにはまるが、自力で脱出する。クレパスとは氷の裂け目のこと。南極は地面が白一色になるうえ、クレパスが雪で覆われることもあるため、判別は難しい。
一方、日本では、第2次南極観測隊を乗せた南極観測船「宗谷」は1957年10月21日に南極を目指して出港する。
中野征紀ら犬ぞり隊は、10月25日にボツンヌーテンに到着し、6日間滞在する。
菊池徹と北村泰一の両名は10月27日にボツンヌーテンの中央峰に登り、世界初となるボツンヌーテン登頂を達成する。
菊池徹は立見辰雄から託された越冬隊11名の名前を刻んだ銅版をボツンヌーテン山頂に打ち付け、その他にも色々と埋める。
北村泰一らはボツンヌーテン滞在中に観測および調査を行い、10月31日(11月1日という記録もある)にボツンヌーテンを出発する。
帰路は快調で3日で中継地点のデポに到着するが、中野征紀・菊池徹の2人は雪目(雪眼炎)になる。
雪目になったのは、クレパスに注意するため、ゴーグルを外していたことが原因だった。中野征紀は医師だが、薬が無いため、自然治癒に頼る。
バッタ島の調査をする北村泰一らは小屋を発見する。近づいてみると、クジラの死骸だった。後にこの場所を「クジラ岬」と命名する。
帰路も円丘氷山を通過する。坂道の連続で樺太犬の体力が尽き、犬ぞりが動かない。北村泰一は犬ぞりから50kgの荷物を下ろし、犬ぞりを押す。やっとのことで、円丘氷山を通過する。
樺太犬の体力の消耗は激しく、老犬テツは犬ぞりに引きられるようになっていた。
11月11日、中野征紀ら犬ぞり隊が昭和基地に帰還すると、メス犬のシロ子が子犬8匹を産んでいた。
■第1次南極観測隊はボツンヌーテンを知っていた理由
日本は「inaccessible(インアクセサブル=接近不可能)」と記された前人未踏の地プリンス・ハラルド海岸での調査を担当することになった。
プリンス・ハラルド海岸は前人未踏のなのだから、第1次南極観測隊がボツンヌーテンのことを知っていることは矛盾している、と考えてる人も居るかもしれないので、ネタバレしておく。
実は、1931年にノルウェーの探検家クリステンセンらがプリンス・ハラルド海岸一帯を航空撮影していたのである。
そして、クリステンセンらがノルウェー語で地名を付けて、大まかな地図を作っていた。だから、プリンス・ハラルド海岸一帯の地名はノルウェー語が多い。
プリンス・ハラルドは、当時のノルウェー国王「ホーコン7世」の孫の名前。オングル島は、ノルウェー語で「釣り針」という意味。そして、ボツンヌーテンはノルウェー語で「奥岩」という意味である。
なお、細々とした地名は、日本の南極観測隊が「南極地名命名規定」に基づいて地名を付いている。日本の場合は、南極地名命名規定により、人名などは付けることはできない。
第3次南極観測隊が樺太犬タロ・ジロと再会するネタバレは「実話『南極物語」の樺太犬タロ・ジロの再会」をご覧ください。
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