岩城昌隆(宮沢和史)のモデルは村山雅美

TBSドラマ「南極大陸」で、宮沢和史が演じる岩城昌隆のモデルを紹介するページです。


岩城昌隆(宮沢和史)のモデルは、第2次越冬隊の隊長・村山雅美です。
岩城昌隆(宮沢和史)が第2次越冬隊の隊長であることから、実話で第2次越冬隊の隊長だった村山雅美をモデルと推定した。
注釈:第2次越冬隊の隊長・村山雅美は、人望もユーモアもある人ある。岩城昌隆(宮沢和史)とは人物像が全く違うのでご注意ください。
村山雅美は第3次越冬隊に参加したとき、奥さんに「ポンコツを修理しておけ」と電報を打ったところ、奥さんから「修理済んだ。試運転して、よろしきや」と返信があったという逸話もある。
TBSドラマ「南極大陸」に登場するモデルの一覧は「南極大陸のモデル一覧」をご覧ください。
■岩城昌隆のプロフィール
岩城昌隆(宮沢和史)が第2次越冬隊の隊長。気象庁の役人で、国が決めた計画通りに、第2次南極観測隊の計画を進めようとする。
■村山雅美にプロフィール
村山雅美は東京都出身で1918年3月28日生まれ。東京帝国大学の在学中にスキー山岳部に入部。戦争の影響で繰上げ卒業となり、海軍に入隊。戦艦「長門」の乗組員を経て、戦後は横浜の商社に勤務していた。
村山雅美は、1953年に第1次マナスル遠征隊の先発隊として、マナスル山頂に参加に参加。1995年末に帰国したところ、第1次越冬隊の隊長・西堀栄三郎に呼ばれ、第1次南極観測隊(夏隊)に参加する。
村山雅美は第1次から第15次南極観測隊までに計7度参加し、第2次以降は南極観測隊の隊長や越冬隊の隊長を歴任し、第9次では日本人初となる南極点への到達に成功する。
第6次南極観測隊で南極観測事業が打ち切られると、村山雅美は再開に向けて尽力。再開となる1965年の第7次南極観測隊では南極観測隊の隊長を務める。
村山雅美は映画「南極物語」の監修を担当する。また、第2次南極観測隊により昭和基地に置き去りになった樺太犬について、ソ連(ロシア)隊から、ソ連隊の飛行機が給油のために昭和基地に下りたさい、樺太犬を目撃したとの証言を得る。
その後も、「南極観測の将来を考える会」を結成するなどして、南極観測事業に尽力し、2006年11月5日に前立腺がんのため死亡した。
注意:ドラマ「南極大陸」はフィクションです。岩城昌隆(宮沢和史)のモデルは、役割や役職などから、当ブログが推定したものであり、実在の人物とは関係はありません。
実話「南極物語」のあらすじとネタバレは「実話『南極物語』のあらすじとネタバレ」をご覧ください

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