ドラマ「南極大陸」第7話と実話「南極大陸」の比較
キムタクことSMAPの木村拓哉が出演するTBS大河ドラマ「南極大陸」の第7話と実話「南極物語」との比較です。
南極大陸-第7話のあらすじは「南極大陸-第7話のあらすじとネタバレ」をご覧ください。実話「南極大陸」のあらすじは『実話「南極物語」のあらすじとネタバレ』をご覧ください。
■宗谷の改造
ドラマ「南極大陸」と実話「南極物語」の違いを紹介する前に、第2次南極観測船「宗谷」の改造を少し紹介する
第1次南極観測船「宗谷」は、犬小屋にしか空調機(クーラー)が無く、横揺れ防止パーツの「ビルジキール」を撤去していた。
しかし、第2次南極観測船「宗谷」は、食堂にクーラーを設置して、横揺れ防止パーツの「ビルジキール」4個を取り付けている。
ドラマでは、ビルジキールの無い第1次南極観測船「宗谷」が大揺れしたり、クーラーがないため赤道直下で南極観測隊員が暑がる姿が描かれいたが、第2次南極観測隊は第1次よりも環境が良いのである。
■バートンアイランド号からの離岸勧告
ドラマ「南極大陸」では第2次越冬隊を1人も昭和基地に送り込んでいないのだが、実話では第2次越冬隊員3名を昭和基地に送り込んでいる。
宗谷から昭和基地に小型飛行機(ビーバー機)「昭和号」は計11回飛んでいる。内訳は、第1次越冬隊の回収が7回で、第2次越冬隊と物資の輸送が4回である。
(注釈:ドラマでは「セスナ」と呼んでいるが、実話ではセスナ機ではなく、ビーバー機「昭和号」である。)
当然、第1次越冬隊の回収時も行き便は荷物を運ぶので、昭和基地には約2トンの物資を運び込んでいた。そこで、バートンアイランド号からの離岸勧告があり、第2次越冬隊3名を収容することになった。
■雪上車の片道輸送
実話では、ビーバー機「昭和号」の空輸に平行して、雪上車による片道輸送が試みていた。第2次南極観測船「宗谷」は雪上車7両を載せており、雪上車で荷物を運び、人間を昭和号で回収するという計画だった。
1958年(昭和33年)2月11日、ヘリコプターの先導により、雪上車(KC20-3Sガソリン車)2両がソリを引いて昭和基地を目指したのだが、34kmほど進んだものの、雪上車が通れるルートが発見できず、引き返して、計画は不発に終わった。
■昭和基地の食料
第1次越冬隊が南極観測船「宗谷」へ引き揚げるとき、昭和期には1年分の食料があった。
元々、第1次越冬隊は最長で2年間、越冬することを考慮していたため、2年分の食料や物資を持って行っていた。
このうち、越冬中に氷の上に置いていた食料がクラックの発生で流れていったり、氷陸に埋めていた冷凍食品が腐るなどして、多くの食料など失ったが、食料は多く残っていた。
第1次越冬隊がアザラシやペンギンを食べて食料を節約していたのは、2年目の食料(予備食料)を確保するためだった。
■南極料理人の砂田正則
越冬隊の調理担当の西村淳をモデルとした「南極料理人」という映画があった。越冬隊の調理担当者を南極料理人と呼ぶなら、砂田正則が初代南極料理人である。
ドラマ「南極大陸」に出演いている山里万平(ドロンズ石本)が活躍する場がなかったように、実話「南極物語」でも第1次越冬隊の調理担当・砂田正則は活躍していない。
上で紹介したように、第1次越冬隊は食料を節約していたので材料が無く、南極料理人の砂田正則は腕の振るいようがなかったのである。
■第1次越冬隊の残留
第2次南極観測隊の輸送も始まり、昭和基地には多くの食料があった。
元々、第1次越冬隊は2年間、越冬することを想定していた。このため、最悪の場合は第1次越冬隊が昭和基地に残って、もう1年越冬するという意見もあった。
しかし、これは文部省が許可しなかった。文部省が許可しなかった理由は、留守家族が相当、第1次越冬隊のことを心配していたからのようである。
日本では、南極観測船「宗谷」が氷に閉じ込められた様子などが新聞などで報じられており、越冬隊の留守家族は非常に心配していたようだ。
『ドラマ「南極大陸」第7話と実話「南極大陸」の比較の後編』へ続く。
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