弓成由里子(松たか子)の実在のモデルは西山啓子
原作小説・ドラマ「運命の人」に登場する人物の実在のモデルシリーズ「弓成由里子(松たか子)の実在のモデルは西山啓子」編です。
山崎豊子の小説「運命の人」やドラマ「運命の人」に登場する弓成由里子(松たか子)のモデルは、西山啓子(にしやま・ひろこ)です。
その他のモデルについては『「運命の人」の実在のモデル』をご覧ください。
■西山啓子のプロフィール(略歴)
西山啓子(にしやま・ひろこ)は神奈川県逗子市(ずし市)の出身で、6人兄弟の3女。実家は地元の名家で、祖父は町長を務め、父親は銀行員という裕福な家庭だった。
西山啓子は、お嬢様学校の「鎌倉女子中学」を卒業後、湘南高校を経て学習院大学へ進学したが、2年生の時に慶応大学法学部へ編入した。
慶応大学4年生の春、西山啓子は毎日新聞の社会部で記者をしている従兄弟に誘われて、毎日新聞を訪れた。そこで、西山太吉と初めて会った。西山太吉は入社2年目で、運輸省を担当していた。
その後、西山太吉は従兄弟を通じて西山啓子に交際を申し込む。それらは、西山太吉は度々、西山啓子の実家を訪れるようになった。
西山啓子の父は真面目な銀行員で、「聞屋(ぶんや)には娘はやらん」と反対したが、西山啓子は西山太吉からプロポーズされ、1959年に結婚した。西山啓子が24歳の事だった。
結婚後、妻の西山啓子は子供を2人儲け、1972年(昭和47年)には東京の成城に80坪の土地を購入して、自宅の新築を始めていた。幸せな生活を送っていた。運命の人が現れたのはそんな時だった。
1972年(昭和47年)3月27日、社会党の横路孝弘が国会で、外務書の機密文書を示して、沖縄密約を追求する。その日の夜、自宅に外務省の事務官を名乗る女性から電話がった。
夫の西山太吉は不在だった。女性秘書官は用件を言わなかったが、妻の西山啓子は横路孝弘が提示していた機密文章に夫が関係していることを悟った。
1972年(昭和47年)4月4日早朝、外務省の事務官を辞職した蓮見喜久子が警察へ出頭。同日、西山太吉も任意出頭し、同日夕方に2人は逮捕された。
妻の西山啓子は、西山太吉が逮捕されたことを知ると、自宅にある資料を処分して証拠を隠滅した。
その後、裁判が始まり、「ひそかに情を通じて」という起訴状により、妻の西山啓子は、西山太吉と女性事務官・蓮見喜久子の間に肉体関係が有ったことを知る。
審理の結果、東京地裁は西山太吉は無罪を言い渡した。しかし、西山太吉は毎日新聞へ辞表を提出して退職した。(最高裁判決は有罪だった)
その後、西山太吉は実家のある北九州へ移り住み、妻の西山啓子は東京・成城に完成した新居で子供と3人で暮らし始めた。離婚はせず、長い別居生活が続く。
やがて、子供2人が自立すると、妻の西山啓子は選択を迫られた。妻の西山啓子は思案した結果、夫が暮らす北九州へ移ることを決めた。
月日は流れ、世間が外務省機密漏洩事件(西山事件)など忘れていた2000年5月、自宅の電話が鳴る。西山啓子が電話に出ると、毎日新聞の記者だった。
記者は、沖縄密約を裏付ける資料がアメリカで見つかったため、西山太吉のコメントが欲しいと告げたのであった。
注釈:ドラマ「運命の人」はフィクションです。ドラマ「運命の人」での役割から、弓成由里子(松たか子)の実在のモデルを推定したものであり、西山啓子はドラマの内容とは一切関係ありません。
女性事務官・蓮見喜久子の写真については「西山太吉と女性事務官・蓮見喜久子の写真(画像)」をご覧ください。
コメント欄
7人兄弟です
西山太吉の話は交流事業での話である。