西山事件の西山太吉の目的と動機

山崎豊子の小説・ドラマ「運命の人」のモデルとなった外務省機密漏洩事件(西山事件)の真相に迫る都市伝説シリーズの「外務省機密漏洩事件の目的と動機-西山太吉が出馬」編です。

このページは「外務省機密漏洩事件(西山事件)の真相」からご覧ください。

■西山太吉の政界進出
1972年(昭和47年)当時、西山太吉は政界進出を考えていた可能性がある。これは、妻の西山啓子が本「つたつの嘘-沖縄密約」で次のように告白している。

「沖縄返還の次は日中国交正常化、その取材を終えたら政治の世界に進む。夫はひそかにそう考えていた。父親が商売をし、自分も中高時代を過ごした下関(山口1区)から出馬するつもりでいた」

つまり、西山太吉は故郷の山口県(山口1区)から政界に進出する予定だった。ここで注目するべきは、故郷の山口県から出馬する予定だった、という点である。

■佐藤栄作を批判した西山太吉
西山太吉は外務省機密漏洩事件(西山事件)の前にも毎日新聞の記事で、長期安定政権を築いた佐藤政権を「長期政権の弊害」などと批判していた。

その後、西山太吉は女性事務官の蓮見喜久子から外務省の極秘電信文を入手し、社会党の横路孝弘へ極秘電信文を横流しした。そして、外務省機密漏洩事件(西山事件)が発生した。

ニュースソースが簡単に判明したことは不本意かもしれないが、社会党の横路孝弘へ極秘電信文を横流したということは、佐藤政権への攻撃と同意だ。

敵の敵は味方である。極秘電信文が横路孝弘へ渡れば、佐藤政権にダメージを与えられることは明白である。

■佐藤栄作
では、なぜ西山太吉は佐藤総理を攻撃したのか。実は、佐藤総理は山口県(山口2区)の出身なのである。つまり、山口県は佐藤総理のお膝元である。その山口県から西山太吉は出馬しようとしていた。

(1972年当時は「中選挙区」という制度があり、現在の選挙区とは違う。この辺りは話しが長くなるので省略する。)

佐藤栄作が沖縄返還という偉業を成し遂げれば、佐藤栄作の名声は強固たるものになり、山口県は佐藤帝国となる。選挙は「地盤・看板・鞄」が大事だという。

佐藤栄作が築いた地盤は、佐藤栄作が引退しても、後任に受け継がれるのではないか。

妻の西山啓子が告白しているとおり、西山太吉が山口県から出馬することを考えていたのであれば、外務省機密漏洩事件(西山事件)の真相は1972年当時とは違った解釈になるのではないだろうか。

外務省機密漏洩事件(西山事件)の都市伝説」へ続く。

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