原作「モリのアサガオ」の感想とネタバレ
郷田マモラの漫画「モリのアサガオ」(全7巻)を読んだネタバレを含んだ書評と感想です。このページは「モリのアサガオの感想」からの続きです。
死刑執行に立ち会った人は午後の仕事は休みとなるうえ、刑の執行から2日間の特別休暇がもられる。さらに、死刑執行手当2万円が出る。死刑執行手当は死刑施行日の午後に酒場で使い果たしてしまうそうだ。
「妻子に妊婦がいる者」「入院中の家族がいる者」「家族に結婚予定者がいる者」「喪中などの事情がある者」は、死刑執行の担当からはずされるそうだ。
これは、死刑執行後に生まれた子供がおかしなことになったり、家族に不幸があると気持ち悪くなるという理由からだ。
死刑執行を担当する刑務官は心理的な負担が大きいようだが、そんなに心理的負担が大きのであれば、コンピューター制御にすれば良いと思う。モリのアサガオを読むと、死刑囚よりも刑務官の方が苦しんでいるように感じた。
これは中学生の時に塾の講師から聞いた話です。死刑囚は絞首刑で窒息死するわけではなく、首の骨が折れて死ぬそうだ。首の骨(頚椎)は繋がっておらず、乗っかっているだけで、床が抜けた時に体重の重みで首の骨がバラバラになって死ぬ。一瞬で意識が飛ぶので苦しくないそうだ。
ちなみに、「『死刑執行の20分後に生きていると、死刑は終わったとみなされて、新しい住民票が与えられて裏口から釈放される』という噂が死刑囚の間で流れており、実際に首を鍛える死刑囚が居る」という都市伝説を聞いた事がある。モリのアサガオではそういうエピソードが無かったので残念だった。
漫画「モリのアサガオ」では、死刑の是否が1つのテーマとなっている。死刑の必要派の考えとして「負の連鎖を断ち切る」「犯罪の抑止力になる」というキーワードが登場する。一方、死刑反対派の考えとして「冤罪」というキーワードが登場する。
漫画「モリのアサガオ」を読む限りでは、裁判は抑止力にならないと思う。抑止力とは、何かに恐怖を感じるて、初めて抑止力になるからだ。
一説によると、絞首刑は一瞬で首の骨が折れるので、全く痛みを感じずに死ぬらしい。死刑囚は自由な生活を送り、死ぬ時も痛みを感じないのであれば、死刑は抑止力にはならない。
漫画「モリのアサガオ」を読んで、ある映画を思い出した。タイトルは忘れたが、SMの「サド」の語源となったマルキ・ド・サド伯爵の伝記映画です。
マルキ・ド・サド伯爵は刑務所で100叩きの刑になるが、マルキ・ド・サド伯爵は叩かれて喜ぶ。刑罰が刑罰にならいので、困った刑務官が牧師に説諭させたところ、マルキ・ド・サド伯爵が苦しみだす。なかなか面白いシーンだった。
このように刑罰は相手が苦しんでこそ刑罰であり、恐怖を覚えてこそ抑止力になると思う。死刑を抑止力にするのではあれば、モリのアサガオは死刑に対する恐怖と死刑囚の苦痛を描くべきだと思った。「モリのアサガオの感想の最終回」へつづく