山本八重と白虎隊の伊東悌次郎のあらすじとネタバレ
山本八重(新島八重)の生涯をあらすじで紹介する実話「山本八重の桜」のあらすじとネタバレシリーズ「山本八重と白虎隊の伊東悌次郎のあらすじとネタバレ」編です。
このページは「三春藩の裏切り・二本松少年隊の悲劇のあらすじとネタバレ」からの続きです。
実話「山本八重の桜」の目次は『実話「山本八重の桜」のあらすじとネタバレ』をご覧ください。
■山本八重と白虎隊
川崎尚之助との結婚を機に砲術を禁止されていた山本八重(後の新島八重)であったが、「鳥羽・伏見の戦い」や「白河口の戦い」の戦況を聞き、1968年6月ごろから、戦争に備えて砲術の訓練を再開する。
22歳になった山本八重の砲術は、人に教えるレベルまで達しており、山本家に遊びに来た白虎隊にも砲術を教えていた。
ただ、白虎隊はフランス式の訓練を取り入れており、遊びに来た白虎隊員は、山本八重が教えるまでもなく、一通りのことは出来ていた。
会津藩の上級藩士は「鉄砲は下級武士の武器だ」「武士が腹ばいになれるか」と激怒していたが、若い白虎隊にはそのような抵抗が無く、洋式銃を受け入れて積極的に射撃の訓練を受けていたのだ。
■山本八重と伊東悌次郎
白虎隊は15歳から17歳までで編成される予定だったが、「15歳では重い銃を扱うのは難しい」という理由で16歳と17歳で編成することになった。
山本八重の東隣に住んでいた伊東悌次郎(いとう・ていじろう=15歳)は年齢が1歳足りないため、白虎隊に入れずに悔しがり、山本八重に砲術を習いに来ていた。
山本八重は機を織りながら伊東悌次郎に鉄砲の撃ち方を教えるが、発砲すると大きな音がするため、伊東悌次郎は驚いて目を閉じてしまう。
新島八重は「臆病者!臆病者!お前のような臆病者には教えぬ」と罵倒すると、伊東悌次郎は「次は目を閉じない」と言い、再び銃を構える。
結局、伊東悌次郎は3度目で発砲しても目を閉じなくなったため、山本八重は伊東悌次郎に鉄砲の撃ち方を教えてやった。
やがて、伊東悌次郎が一通りのことが出来るようになると、山本八重は射撃の動作を妨げになることを理由に、伊東悌次郎の下髪を切り落とす。
すると、山本八重は母・山本佐久に「厳格な伊東家の許可無しに、髪を切るとは何事ですか」と、こっぴどく叱られてしまうのであった。
その後、伊東悌次郎は年齢を改竄して白虎隊(士中二番隊)に入り、「戸ノ口原の戦い」で死んでいる。山本八重は死ぬまで、戦死した伊東悌次郎のことを悲しんだ。
■会津人はスパルタ人
山本八重の2番目の夫になる新島襄は、山本八重(新島八重)との結婚生活を通じて、そして山本八重から聞いた戊辰戦争の話しから、会津人は「スパルタ人」のような人種だと考えていた。
スパルタとは、古代ギリシャ時代の軍事国家で、独特の軍事教育制度を有することから「スパルタ教育」の語源になった国である。
実話「山本八重の桜」の会津編「母成峠の戦い-伝習隊と新選組のあらすじとネタバレ」へ続く。