新島八重が「ハンサム・ウーマン」と呼ばれる理由

HNK大河ドラマ「八重の桜」のモデルとなる新島八重(山本八重)の生涯をあらすじでネタバレする実話「山本八重の桜」の番外編『新島八重が「ハンサム・ウーマン」と呼ばれる根拠』です。

■新島八重が「ハンサム・ウーマン」と呼ばれる理由
新島八重(山本八重)を「ハンサム・ウーマン」と呼ばれるようになったのは、、2009年4月放送のNHK番組「歴史秘話ヒストリア」が切っ掛けである。それ以前に新島八重(山本八重)を「ハンサム・ウーマン」を敬称した記録は無い。

新島八重(山本八重)が「ハンサム・ウーマン」と呼ばれる理由は、新島襄が「アメリカの母」と慕うハーディー夫人に、妻・新島八重の手紙を添えて、結婚を報告した手紙にある。

(注釈:ハーディー夫婦は、新島襄が脱国する時に乗ったアメリカ船「ワイルド・ローバー号」の持ち主で、アメリカ時代の新島襄を支援した恩人である。)

新島襄のハーディー夫婦に宛てた手紙で、新島八重のことを「of coures she is not handsome at all, but waht i know of her is that she is a person who does handsome.」と評価した。この一文が、新島八重が「ハンサム・ウーマン」と呼ばれる理由である。

(ハーディー夫妻は新島八重に会ったことはないが、新島襄は手紙に新島八重の写真を同封しているため、新島八重の顔を知っている。また、後半に「but」が入るため、「of coures」から紹介した。)

この英文を日本語に訳すと、「もちろん、彼女は美しくありません。しかし、私は知っています。彼女は美しい行いをすることを」となる。

新島襄が手紙で書いた英文は、英語の熟語「Handsome is as handsome does」(日本語訳:行いが立派な人が立派な人である)の流用だとされており、こいれまでは「彼女は美しい行動をする人」と訳されていた。

しかし、従来は「彼女は美しい行動をする人」として訳されていた部分を、2009年4月放送のNHK番組「歴史秘話ヒストリア」が「彼女は生き方がハンサムなのです」と訳したのである。

そして、NHYK番組「歴史秘話ヒストリア」が「明治悪妻伝説・初代ハンサムウーマン・新島八重の生涯」というサブタイトルで新島八重を取り上げた。

このため、新島八重は「ハンサム・ウーマン」と呼ばれるようになった。

色々な文献を探しても、新島八重(山本八重)が「ハンサム・ウーマン」と呼ばれた事を示すものはなく、新島八重を「ハンサム・ウーマン」と称したのは、NHK番組「歴史秘話ヒストリア」が初めてだ。

(注釈:同志社大学の授業では、30年前(1980年代)に「ハンサムウーマン」と訳していたそうです。情報をいただきました。ですから、NHYK番組「歴史秘話ヒストリア」が最初に新島八重を「ハンサムウーマン」と呼んだというのは間違いのようです。)

したがって、新島八重は「ハンサム・ウーマン」とは呼ばれておらず、2009年4月放送のNHK番組「歴史秘話ヒストリア・明治悪妻伝説・初代ハンサムウーマン・新島八重の生涯」が切っ掛けで、「ハンサム・ウーマン」と呼ばれるようになったと考えて間違いないだろう。

また、会津若松城の籠城戦で新政府軍(官軍)と戦った山本八重(新島襄と結婚する前の新島八重)が「幕末のジャンヌダルク」と呼ばれていたとされているが、山本八重が「幕末のジャンヌダルク」と呼ばれた事を示す文献は見つからない。

おそらく、「幕末のジャンヌダルク」という愛称についても、テレビ番組や雑誌などがキャッチコピーとして付けたものだと思われる。

なお、新島襄は英語が下手だったエピソードや、山本八重のスペンサー銃のネタバレなども、実話「山本八重の桜」で紹介する予定です。

実話「山本八重の桜」は『実話「新島八重の桜」のあらすじとネタバレ』をご覧ください。