実話-新島襄は英語が下手だった

NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公・新島八重(山本八重)の2番目の夫・新島襄の生涯の実話をあらすじとネタバレで紹介するネタバレシリーズ番外編「実話-新島襄は英語が下手だった」です。

■新島襄は本当は英語が下手だった
同志社英学校を設立した新島襄は、アメリカの留学経験があり、岩倉使節団では田中不二麿の通訳を務めたため、英語が堪能だと思われがちだが、新島襄は英語が下手だった。

新島襄は散髪へ髪を切りに行く予定になったいた時のことである。西洋人の友達に散髪をどう説明してよいか分からず、「cut hand(カット・ハンド)」と説明したところ、西洋人は新島襄に抱きつき、別れの涙を流したのだ。

どうやら、「cut hand(カット・ハンド)」と言ったため、西洋人の友達は、新島襄が手首を切って自殺すると勘違いしたらしい。

新島襄が英語が下手だったことは有名で、このほかにも、新島襄には英語にまつわる笑い話が多く残っている。

■新島襄は授業も下手だった
新島襄の授業も酷かった。新島襄は四福音書(聖書の関連本)の授業を担当していたが、新島襄の聖書の研究は未熟で、生徒の質問にも満足に答えることが出来ず、困り果てることが多かった。

それゆえ、熊本洋学校から転校してきた熊本バンドのメンバーは、新島襄の授業のレベルの低さに失望していた。

熊本バンドの1人・浮田和民も新島襄を「学者の師としては先生を信じていなかった」と評価している。

新島襄や新島八重の関連情報については『実話「新島八重の桜」のあらすじとネタバレ』をご覧ください。