日本の夏休みの起源や由来
NHKの大河ドラマ「八重の桜」のモデルとなる新島八重(山本八重)の関連情報シリーズ編「日本の夏休みの起源と由来」です。
■同志社英学校の夏休み
新島襄が1875年(明治8年)に設立した同志社英学校には、夏休みがあった。
同志社英学校は3学期制になっており、1学期は9月中旬から12月中旬まで、2学期は1月初旬から3月末まで、3月期は4月初旬から6月中旬までであった。
同志社英学校は9月中旬に学校が始まり、6月中旬に学校が終わり、この学年の終わる6月中旬から、学年の始まる9月中旬までの3ヶ月間が同志社英学校の夏休みであった。
2012年時点では、日本の学校は4月に始まり、翌年3月に終わるが、アメリカの学校は9月に始まり、翌年6月に終わる。
同志社英学校が9月に始業するのは、設立者の新島襄がアメリカに留学しており、アメリカの教育制度を参考にしたからである。
また、同志社英学校では、アメリカ人の教師(在日宣教師)が授業を行うため、アメリカ式で9月に始業することになったのではないかと推測される。
■夏休みの起源や由来
近代化を進める明治政府は、外国人教師を雇用するととに、欧米の教育制度を取り入れたため、明治時代の学校は9月に始業して、翌年6月に終業する学校が多かった。これが日本での夏休みの由来や起源となっている。
同志社英学校よりも前に学校は複数、設立されているため、日本で最初に夏休みを採用した学校については分からないが、新島襄が1875年(明治8年)に設立した同志社英学校には、夏休みがあった。
なお、9月に入学していたのが、現在のように4月に入学するようになるのは、徴兵制度と関係があるとされている。
■同志社英学校の夏休み
同志社英学校のアメリカ人教師(在日宣教師)は、夏は働かず、夏休みの間は避暑のため比叡山などで過ごした。
同志社英学校の生徒は夏休みの間にキリスト教の伝導などに出かけ、優秀な者を見つければ、同志社英学校への入学を勧誘した。
■同志社英学校に退学者が多い理由
同志社英学校は中退者が多く、卒業生はわずかだった。明治19年は退学者89人に対して卒業者3人、明治20年は退学者177人に対して卒業者15人であった。
中退者が多い理由は、同志社英学校が徴兵制度に対する猶予措置を執っていなかったためだという。
新島八重や新島襄に関する情報は『実話「新島八重の桜」のあらすじとネタバレ』をご覧ください。