万里小路有功のモデルは、お万の方(永光院)
よしながふみの漫画・ドラマ「大奥」に登場する万里小路有功の実在するモデルのネタバレです。
■万里小路有功のあらすじ
万里小路有功(までのこうじ・ありこと)は慶光院の院主就任の挨拶のため、江戸城を訪れるが、春日局の陰謀により、還俗を強要され、同行していた弟子の玉栄と共に大奥に入る。
万里小路有功は女将軍・徳川家光の側室となり、「お万の方」と呼ばれるようになる。
そして、慶光院は3大将軍・徳川家光と相思相愛になるが、徳川家光を妊娠させることが出来なかったため、玉栄(お玉の方)に代役を頼む。そして、徳川家光は玉栄の子供を出産する。
万里小路有功はその後も女将軍・徳川家光を妊娠させることができず、春日局の死後は、春日局の後を継いで大奥総取締役に就任する。
■万里小路有功のモデルは「お万の方(永光院)」
お万(後の永光院)は1597年に公家の六条有純の娘として生まれる。お万(13歳)は1936年に伊勢にある尼寺・慶光院(けいこういん)に入る。
1639年、慶光院の院主となったお万は、跡目相続の挨拶で江戸城を訪れたさい、3代将軍・徳川家光に見初められて滞在を命じられ、還俗を命じられた。
お万は還俗を拒否したが、還俗を強要され、髪が生えそろうまで江戸城外の屋敷に留まってから大奥へ入る。
大奥に入ったお万は、3代将軍・徳川家光(36歳)の側室となり、「お万の方」と呼ばれるようになる。
■お万の方の功績
3代将軍・徳川家光は男色(ゲイ)だったため、「お万の方」は男色(ゲイ)が好む美少年系の顔立ちだったと言われている。また、男色(ゲイ)をも虜にする絶世の美女だったとも言われている。
3代将軍・徳川家光は男色(ゲイ)だったため、女性には手を付けなかったが、「お万の方」によって女体に目覚め、側室を持つようになり、無事に世継ぎを儲けた。
■お万の方
お万の方は、男色(ホモ)の3代将軍・徳川家光を女体に目覚めさせ、3代将軍・徳川家光の寵愛されたが、お万の方には子供は生まれなかった。
これは、徳川家は徳川家に天皇家・公家の血筋は入ることを禁止していたため、公家の六条有純を父に持つお万の方は不妊薬や堕胎薬のような薬を飲まされていたからだ、とされている。
なお、お万の方については、「老中の内向により、懐妊を禁じられていた」とする資料がある。
■大奥総取締役
春日局の死後、「お万の方」は春日局と同様に大奥を取り締まることになる。大奥に「大奥総取締役」という役職は存在しないが、大奥を取り締まる者を一般的に「大奥総取締役」と呼んでいる。
これまでは武家出身の春日局が大奥を支配していたため、大奥は質実剛健の武家風だったが、公家出身の「お万の方」が大奥総取締役になることによって、大奥は煌びやかな公家風となる。
「お万の方」の影響により、大奥は絢爛豪華になる一方で、礼儀作法などが徹底されるようになった。
■徳川家光の死後
3代将軍・徳川家光の死去すると、大奥の存続は決定したが、徳川家光の手が付いた1000人以外は解雇された。
このとき、徳川家光のお手つきだった「お万の方」は永光院(えいこういん)へと改名した。同様に「お玉の方」は桂昌院(けいしょういん)へ改名し、「お楽の方」は宝樹院(ほうじゅいん)へと改名した。
そして、永光院(お万の方)は3代将軍・徳川家光が死去しても出家せず、大奥に残った。
永光院(お万の方)が大奥で何をしていたかは分からないが、1657年に発生した「明暦の大火」によって江戸城が焼けたことを切っ掛けに、大奥を去ったとされている。
その後、永光院(お万の方)は1711年に小石川の無量院で死去した。永光院(お万の方)が死んだ時の年齢は88歳だった。
よしながふみの漫画・ドラマ「大奥」の登場人物の実在モデルの一覧は『よしながふみ「大奥」で実在するモデルのまとめ』をご覧ください。
コメント欄
イケメン大奥で永光って人いますよね。