大奥の捨蔵(お楽)のモデルは、お蘭(宝樹院)
よしながふみの原作漫画・ドラマ・映画「大奥」に登場する人物の実在のモデルを紹介する実在モデルシリーズ「捨蔵(お楽)のモデル」編です。
その他の登場人物のモデルについては「よしながふみ「大奥」で実在するモデルのまとめ」をご覧ください。
■捨蔵(お楽)のあらすじ
よしながふみの漫画「大奥」に登場する捨蔵(お楽)は、江戸の古着屋の道楽息子で、仕事もせずに女性相手に種子を売りながら遊びほうけていた。
しかし、女将軍・徳川家光の側室・お万の方(万里小路有功)に容姿がよく似ていたことから、春日局にスカウトされて大奥に入る。
捨蔵(お楽)は、お万の方(万里小路有功)の代わりとして、女将軍・徳川家光を寝床を共し、徳川家光を懐妊させる。
女将軍・徳川家光が女児を出産したことを切っ掛けに、捨蔵(お楽)は「お楽」という名前を賜る。これに感激した捨蔵(お楽)は喜び、飛び跳ねていると、足を滑らせて廊下から転落し、頭を打って全身麻痺になる。
やがて、捨蔵(お楽)は謎の疫病「赤面疱瘡(あかづらほうそう)」に感染して死亡する。
■捨蔵(お楽)のモデルは「お蘭(お楽の方=宝樹院)」
お蘭(お楽の方)の父親は、下野国(栃木県)鹿麻村に住む農民・青木三太郎利長とされている。ただし、朝倉惣兵衛が父親という説もある。
青木三太郎利長は農民だったが、江戸に出て旗本・朝倉家に仕えて侍となる。しかし、朝倉家の金を使い込んだため、江戸を追放され、下野国(栃木県)鹿麻村で謹慎した。
その後、当時は御法度だった「鶴の密猟」を行ったため、死罪となった。お蘭(お楽の方)と母親・柴は、父親の罪に連座して奴隷の身分となり、古河藩の藩主・永井尚政の使用人となる。
その後、母親・柴は古河藩士の七沢清宗と再婚したため、お蘭(お楽の方)は七沢清宗の養女となる。そして、七沢清宗は武士を辞め、千代田区内神田2丁目で古着屋を始めた。
お蘭(お楽の方)は古着屋で店番をしていたところ、浅草参りの帰りだった春日局の目にとまり、大奥へ入る。お蘭(お楽の方)が大奥へ入ったのは13歳の時だった。
このとき、お蘭(お楽の方)は春日局の計らいにより、古河藩の藩主・永井尚政の養女として大奥へ入った。
お蘭(お楽の方)は大奥の「呉服の間」で仕えていたが、一節によると、お蘭(お楽の方)が故郷の「麦うち歌」を歌っていたところを、3代将軍・徳川家光に見初められ、側室となった。
側室となったお蘭(お楽の方)は「お楽の方」と呼ばれるようになり、3代将軍・徳川家光の寵愛を受けて、1641年に男児・竹千代(徳川家綱)を出産する。
しかし、男児・竹千代(徳川家綱)は春日局に取り上げられ、乳母・八島局の手によって育てられた。
1651年に徳川家光が死去すると、お蘭(お楽の方)は出家して「宝樹院」と名を改め、息子の竹千代(徳川家綱)が4代将軍に就任する。
宝樹院(お楽の方)は将軍の母親として大奥に残ったが、病弱だったため、権力を振るうことも無く、1652年に宝樹院(お楽の方)は死去した。享年32歳であった。
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