溝口左京(市川知宏)の実在モデルは「お夏(順性院)」

TBSのよしながふみ映画・ドラマ「大奥-誕生(有功・家光篇)」に登場する溝口左京(市川知宏)の実在するモデルを紹介する実在モデルのネタバレシリーズです。

ドラマ「大奥」の原作や主題歌については『大奥-誕生(有功・家光篇)の原作と主題歌』をご覧ください。

■ドラマの溝口左京(市川知宏)のネタバレ
溝口左京(市川知宏)は武家の名門・溝口家の出身。溝口家は、溝口左京(市川知宏)の祖父が関ヶ原の合戦で武功を挙げ、徳川家康に認められた名家である。

春日局(麻生祐未)が目を付けて大奥へ入れた町人の捨蔵(窪田正孝)は、徳川家光(多部未華子)を妊娠させることに成功したが、生まれたのは女児だった。

春日局(麻生祐未)は「継ぎこそは男児を」と期待していたが、捨蔵(窪田正孝)は将軍家の姫様の父親になったことを喜び、庭の柿の気になっていた柿をもぎ取るため、ジャンプしたところ、バランスを崩して、地面の石に頭を打ち付けて半身不随になってしまう。

(原作では、喜んで跳ね回っていたところ、廊下から転落して、石に頭を打ち付けて寝たきりになる。)

春日局(麻生祐未)は、期待していた捨蔵(窪田正孝)が種馬として役に立たなくなったため、3ヶ月を必要とする根回しをして、名門・樋口家から溝口左京(市川知宏)を大奥へ招いた。

こうして大奥へ入った溝口左京(市川知宏)は、日焼けしており浅黒い肌をしていたことから、徳川家光(多部未華子)が「お夏」という名前を与えた。

■原作の溝口左京のネタバレ
原作漫画に登場する溝口左京は、武家の名門・溝口家の出身だが、祖父が関ヶ原で活躍したという説明は無い。原作でも、肌が浅黒いことから、徳川家光が「お夏」と名付けている。

溝口左京は春日局によって大奥へ招かれ、女将軍・徳川家光の側室となり、女児を出産する。溝口左京は、ほとんど登場することはなく、徳川家光の死後は出家して「順性院(じゅんしょういん)」と名乗るようになる。

■溝口左京の実在のモデルは「お夏(順性院)」
お夏は、京都で町人・弥市郎の娘として生まれる。お夏が大奥へ入った経緯は不明である。

お夏は、将軍に謁見できない「御目見得以下」という身分で、「御目見得以下」の中でも1番位の低い「御末」という身分であったが、入浴時の世話をする「御湯殿」という仕事をしていたため、3代将軍・徳川家光のお手が付き、側室となり、「お夏の方」と呼ばれるようになる。

お夏は、その後、徳川家光の子を懐妊し、正保元年(1644年)に徳川家光の三男となる男児・長松(徳川綱重)を出産する。

そして、徳川家光の死去すると、お夏は出家して「順性院(じゅんしょういん)」と名乗るようになる。

4代将軍には側室・楽の方(宝樹院)の子供・徳川家綱が就き、お夏の方の子供・長松(徳川綱重)は甲斐(山梨県)の甲府藩の城主となる。

そして、長松(徳川綱重)は1678年に35歳で死去し、お夏(順性院)は1683年に死去する。

お夏(順性院)についても、息子の長松(徳川綱重)についても、取り立てて書くようなエピソードは無い。

その後、1680年に4代将軍・徳川家綱が死去するが、既に徳川家綱は死んでいたため、側室・お玉の方(桂昌院)の子供・徳松(徳川綱吉)が第5代将軍に就いた。

ドラマ・映画「大奥」に登場する溝口左京(市川知宏)以外の登場人物のモデルの一覧は「よしながふみ「大奥」で実在するモデルのまとめ」をご覧ください。

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