実話-新島八重の「恩返し」
2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公となる新島八重(山本八重)の生涯をあらすじとネタバレで描く実話「新島八重の桜」の京都編「新島襄の熟女の恩返し」です。
このページは「新島八重の孫・新島襄治のあらすじとネタバレ」からの続きです。
実話「新島八重の桜」の目次は『実話「新島八重の桜」のあらすじとネタバレ』をご覧ください。
■新島襄の熟女の恩返し
1921年(大正10年)のある日、新島襄に世話になったという1人の熟女が新島八重を尋ねてきた。熟女は、40年前に新島襄が奨学金を世話した少女だった。
40年前、新島家に少女が尋ねてきたことがあった。新島八重が用件を聞くと、少女は「私は勉強をしたいが、父親は警察官で給料が少なく、母親はリュウマチなので、お金が無い。どうぞ学資を出して頂きたい」と頼んだ。
新島襄は不在だったため、新島八重は「貴女の希望は必ず伝えておきます」と答えると、少女は安心して帰っていた。
その後、新島八重が帰宅した新島襄に少女のことを話すと、新島襄は「そういうことなら、少女に学資を出して上げましょう」と言い、直ぐに少女に手紙を書いた。
後日、新島襄は少女に会い、「現在の日本は、立派な婦人を作る必要があるから、貴女も教育に従事して、立派な婦人に作るように頑張ってください」と励まし、学資の支援を約束した。
少女はこうして月30銭の学資を貰いながら勉強励み、学校を卒業すると、新島襄との約束通り、小学校の教師になった。そして、少女は新島襄の死後も新島襄との約束を守り続け、30年間も教師を続けた。
そして、ある日、熟女となった少女は新島家を訪れたのである。
熟女は新島八重に「先生のお言葉を守って、30年間、小学校の教師を続けてきたが、退職して商売をすることになったので、挨拶に来ました」と事情を説明し、学資のお礼だと言い、大金を差し出した。
新島八重は新島襄の遺産を食いつぶし、借金まで作っていたが、新島八重はこのお金を受け取らなかった。
実話「新島八重の桜」の京都編「実録-新島八重と田中滋野との朝風呂勝負のあらすじとネタバレ」へ続く。