八重の桜-第9回の感想と解説

綾瀬はるかが出演するNHK大河ドラマ「八重の桜」の第9回「八月の動乱」の感想と解説です。

■八重の桜-第9回の感想と解説
NHK大河ドラマ「八重の桜」の第9回「八月の動乱」は、公武合体派の会津藩と薩摩藩とが手を組み、尊王攘夷派の長州藩を京都から排除した、いわゆる「八月十八日の政変」を描いていた。

八月十八日の政変で、会津藩と薩摩藩とが同盟を組むことが出来たのは、京都で公用方(外交官)をしていた会津藩士・秋月悌次郎である。

秋月悌次郎は会津藩の下級藩士だが、優秀だったため、遊学に出た後、西国諸藩を巡っており、秋月悌次郎は会津藩で唯一、西国諸藩の事情に詳しい藩士だった。

秋月悌次郎の活躍により、会津藩は薩摩藩と同盟を組んで、京都から長州藩を排除することができたのだが、「八月十八日の政変」の後、会津藩は秋月悌次郎に湾岸警備の任務を命じ、京都から左遷した。

京都で活躍していた秋月悌次郎が左遷させれたのは、秋月悌次郎が下級藩士だったため、左遷されたのである。

NHK大河ドラマ「八重の桜」では、会津藩は秋月悌次郎(北村有起哉)に「摂津へ行き、海岸の砲台工事の指図をしろ」と命じている。

実在の秋月悌次郎が左遷されるのは、1864年に京都で起きた「蛤御門の変」の後なので、秋月悌次郎(北村有起哉)はもう一度、京都に復帰すると思う。

ただ、NHK大河ドラマ「八重の桜」が身分差別を描かないのであれば、秋月悌次郎(北村有起哉)はそのまま左遷され、しばらく登場しないかもしれない可能性もある。

なお、秋月悌次郎が左遷された理由は、「秋月悌次郎の左遷と薩長同盟-長州討伐と四境戦争」で紹介しているので、そちらを参照して欲しい。

■山本八重と御右筆
NHK大河ドラマ「八重の桜」の第9回「八月の動乱」で、山本八重(綾瀬はるか)が照姫(稲森いずみ)の御右筆に抜擢されるかもしれないというエピソードがあった。

右筆(ゆうひつ)とは、手紙を代書したり、記録を付けたりする役職である。いわゆる書道家である。

おそらく、御右筆のエピソードを入れた理由は、山本八重が後に結婚する夫(2番目の夫)・新島襄に対する伏線だろう。

新島襄は安中藩の江戸屋敷で生まれ育った。新島襄の父親・新島民治は、安中藩で御右筆をしていた。父・新島民治は自宅でも書道教室を開いていた。新島襄は小さい頃から、書道・新島流を練習させられていた。

山本八重が砲術家の娘なのに対して、新島襄は書道家の息子なのである。

会津藩士として出仕するようになった新島襄は、会津藩で御右筆をしていたが、新島襄は右筆という仕事が嫌で嫌でたまらなかった。

山本八重は鉄砲に興味を持ち、女伊達らに鉄砲を撃っていたが、新島襄は右筆の仕事が嫌いで、何度も仕事を抜け出していた。

(注釈:新島襄は仕事を抜け出して遊んでいたわけではなく、勉強していた。)

その後、新島襄は脱国(密航)してアメリカへ渡るのだが、新島襄が密航する切っ掛けは、会津藩士としての仕事が嫌だったからである。特に、参勤交代に従事した時の苦役に耐えられなかった。

聖書を勉強するというのは、最後の1押しにしか過ぎず、新島襄が脱国した理由は、御右筆の仕事や参勤交代の苦役に耐えられないという方が大きい。

このあたりの経緯は「実話-新島襄の生涯のあらすじとネタバレ」をご覧ください。

■八重の桜-第9回の感想
NHK大河ドラマ「八重の桜」の第9回「八月の動乱」にあった、山本八重が照姫の御右筆に抜擢されるかもしれないというエピソードは、元治元年3月(1864年)の出来事だった。

一方、2番目の夫・新島襄が北海道・函館から脱国するのは、元治元年6月(1864年7月)のことである。

八重に桜-第9回で「御右筆」というキーワードを出すことで、新島襄の存在を臭わせてきた。

ただ、「御右筆」を新島襄の伏線にするのであれば、御右筆時代の新島襄を描く必要があると思う。脚本家は、新島襄パートはどのように描くのだろうか。今後の展開を楽しみにした。

実話「新島八重の桜」のあらすじとネタバレは『実話「新島八重の桜」のあらすじとネタバレ』をご覧ください。