原作小説「空飛ぶ広報室」の専守防衛-読書感想文

有川浩の自衛隊小説「空飛ぶ広報室」のあらすじとネタバレを含んだ専守防衛-読書感想文の感想編です。

このページは「空飛ぶ広報室」の読書感想文の3ページ目です。1ページ目は『原作小説「空飛ぶ広報室」のあらすじとネタバレ』です。

なお、このページには有川浩の自衛隊小説「空飛ぶ広報室」のあらすじやネタバレが含まれています。あらすじやネタバレを知りたくない人は閲覧にご注意ください。

■空飛ぶ広報室-読書感想文
自衛隊は兎(ウサギ)である、と私は思う。なぜなら、ウサギを数える単位は「羽」だからだ。

古来の日本は仏教の教えにより、4本足の動物を食べることを禁じられていた。しかし、日本人はウサギを鳥と同じ単位「羽」で数えることにより、「ウサギは鳥だ」という詭弁を使い、ウサギを食べた。その名残で、今でのウサギを数えるときは、鳥と同じように「1羽」「2羽」と数える。

日本は日本国憲法の第9条2項に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記しているが、自衛隊は兵器・軍事力を持った軍隊でありながらも、「自衛隊は、自衛隊であり、軍隊ではない」とう詭弁の上に存在している。

だから、自衛隊はウサギなのだ。原作小説「空飛ぶ広報室」に登場する稲葉リカは、「因幡(稲葉)の白ウサギ」をもじって「稲ひょん」と呼ばれるのも、詭弁の上に存在するウサギと自衛隊とを表現しているのだと思う。

また、「羽」で数えられるウサギは飛べない鳥であり、翼をもがれて広報室へと落ちた空井大祐を象徴しているのだと思う。

さて、稲葉リカは自衛隊にアレルギーを示したが、私は自衛隊が好きも無いし、嫌いでもない。そもそも、自衛隊に全く興味が無いのだ。ただ、私は、原作小説「空飛ぶ広報室」にも登場した「専守防衛」という概念は好きだ。

2000年以上前の中国の戦国時代に、自衛隊の「専守防衛」と同じ様な思想を持った人が居た。その人は「墨子(ぼくし)」といい、墨子の弟子で形成する思想集団を「墨家(ぼくか)」という。

墨子は「非攻」「兼愛」を思想の中心としており、墨家は攻められた小国へ赴き、籠城戦を指揮した。思想集団「墨家」は籠城戦のスペシャリストで、防衛専門の傭兵軍団なのである。

墨子の「非攻」という思想は、「他国へ侵略しない」と意味であり、決して「攻撃しない」という意味ではない。墨子は、城を守るためにあらゆる攻撃をする。

戦争を仕掛けた国が戦争に勝ったとしても、戦争で痛手を負えば、今度は漁夫の利を狙う第3国に侵攻されることになる。

だから、墨子は攻められた国を守ることにより、軍事的な均衡を作り上げ、擬似的な平和を実現しようとしたのだ。

思想家は実現不可能な理想論を述べる人が多いが、墨子は現実味のある思想を唱えている。墨子が目指した擬似的な平和も、平成の世で実現している。

墨子では、自国を守る必要性について「戦争で負けた国の男は殺され、女・子供は犯される」とい説いている。墨子は、当たり前の事を説いているが、本質であることが多い。

墨子は非常に現実的な思想家だったが、時の権力者である秦の始皇帝から弾圧を受けたり、対立していた思想家の孔子の台頭により、墨子は歴史から名を消した。

古来の中国では素晴らしい思想が多かったのだが、いずれの思想も中国では定着しなかった。皮肉なことに、孔子の思想「儒教」として日本で根付き、墨子の思想「非攻」も日本に根付いている。

さて、原作小説「空飛ぶ広報室」に登場した広報部は、アクロバット飛行専門部隊「ブルーインパルス」をイベントで飛ばすなど、普通の広報活動を行っていたが、実在する広報部は自衛隊を「萌え」化しようとしている。

例えば、自衛隊山口地方協力本部は、HPに山口美陸・山口美海・山口美空という萌えキャラ3姉妹が登場している。

また、自衛隊徳島地方協力本部も自衛隊募集のポスターに萌えキャラを採用しており、平成23年の自衛官募集ポスターの標語は「今どきの萌える就職先・自衛官募集」である。

さらに、萌えキャラをペイントした戦車やヘリコプターもあり(イベント用だと思うが)、もはや自衛隊は「軍隊」ではなく「萌隊」になりつつあるのだ。

原作小説「空飛ぶ広報室」に登場した広報室長・鷺坂正司がアイドルオタクとして描かれていたのも、萌え化する自衛隊の現状を表現していたのかもしれない。

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