竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取りのあらすじとネタバレ
2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレの播磨編「竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取り事件」です。
このページは「黒田官兵衛の登用と初陣-織田信長の野望」からの続きです。あらすじの目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。
■竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取り
永禄7年(1564年)1月、小寺官兵衛(黒田官兵衛)が19歳のとき、美濃(岐阜県)では、竹中半兵衛が美濃を支配する主君・斎藤龍興の居城・稲葉山城を1日で乗っ取っていた。
斎藤龍興の祖父・斎藤道三は「美濃のマムシ」「マムシの道三」として恐れられていたが、斎藤龍興は一部の家臣だけを寵愛し、美濃(岐阜県)の政治は腐敗しており、竹中半兵衛は冷遇されていた。
そのようななか、永禄7年(1564年)1月、新年の挨拶で稲葉山城を訪れた竹中半兵衛は、新年の挨拶を終えて稲葉山城を出たとき、城壁に居た斎藤飛騨守の兵に小便をかけられた(このエピソードは後世の創作だと思われる)。
竹中半兵衛の妻の実家は、西美濃3人衆の1人・安藤守就で、美濃の有力な武将だった。
そこで、小便を駆けられて世直しを決意した竹中半兵衛は、妻の実家である安藤守就に直訴し、稲葉山城の乗っ取り計画への協力を依頼した。
そして、竹中半兵衛は安藤守就の協力を得て、計18人で白昼堂々と稲葉山城に乗り込んで、斎藤飛騨守を斬って小便をかけられた恨みを晴らし、稲葉山城を占拠した。
稲葉山城を居城する主君・斎藤龍興は、竹中半兵衛の謀反を敵軍の襲来と勘違いして稲葉山城から逃げ出した。
隣国・尾張(愛知県)の織田信長は竹中半兵衛に「城を明け渡しくれれば、美濃の半分を与えよう」と申し出たが、竹中半兵衛は「主の斎藤龍興を諫めるため、一時的に城を預かっているだけである」と答え、織田信長の申し出を断った。
竹中半兵衛は稲葉山城の占領は半年ほど続けたが、最終的には斎藤龍興に稲葉山城を返還し、隠居した。
(注釈:実際は安藤守就の主導で起した謀反だったが、同調者が出ず、美濃全体に謀反が広がらなかったため、安藤守就らは謀反を諦めたという説が有力になっている。)
稲葉城の返還により斎藤龍興は美濃(岐阜県)の大名に復帰したが、その後に織田信長に侵略され、伊勢(三重県)へ逃げた。
一方、稲葉城を斎藤龍興に返還して隠居した竹中半兵衛は、その後、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)の家臣となり、黒田官兵衛と共に木下藤吉郎を支える軍師となるのであった。
実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレの播磨編「小寺官兵衛が櫛橋光と結婚」へ続く。