黒田官兵衛と竹中半兵衛で二兵衛-三木城の戦い
2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレの播磨編「黒田官兵衛と竹中半兵衛で二兵衛(両兵衛)-三木城の戦い」です。
このページは「軍師・黒田官兵衛-第2次・上月城の戦いのあらすじとネタバレ」からの続きです。
実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレの目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。
■三木城の戦い
織田信長が三木城に差し向けた援軍・織田信忠は、織田信長に反旗を翻した神吉城と志方城を落城させた。
そして、上月城の援軍に向かった羽柴秀吉は織田信長の命令により、上月城を見捨てて三木城の攻略を再開すると、援軍に来ていた織田信忠の軍は兵を引き上げた。
さて、三木城は自然を巧みに利用した要害だった。羽柴秀吉は籠城する三木城を力攻めで落とすのは難しいと考え、平井山に本陣を置くと、三木城を包囲し、糧攻めにした。
三木城には大勢の兵が籠城しており、食糧の補給が課題となっていた。兵糧攻めは、黒田官兵衛や竹中半兵衛の献策とされている。
羽柴秀吉は三木城の周りに監視の付城を築いて食糧補給路を断ち、三木城を包囲して兵糧攻めにする一方で、三木城の別所長治に同調して織田信長に反旗を翻した東播磨の豪族を討伐していく。
■黒田官兵衛と竹中半兵衛で二兵衛
羽柴秀吉の軍勢が三木城の別所長治と小競り合いを行っているとき、小寺官兵衛(黒田官兵衛)が500騎ほどを率いて山陰に布陣していた。
羽柴秀吉は小寺官兵衛を見て「官兵衛はなんでこんな所に居る。もしかして、官兵衛までも寝返る気か」と驚いた。
すると、羽柴秀吉の軍師・竹中半兵衛は、羽柴秀吉に「あれは伏兵でしょう。今日の戦は必ず勝ちます」と言い、神子田半左衛門に指示を与えた。
神子田半左衛門は竹中半兵衛の指示通り、城を攻めて弓兵と一戦すると、早々に引き上げた。
すると、敵軍は好機と見て、城から打ち出て神子田半左衛門を追いかけた。
山陰に布陣していた小寺官兵衛は時機到来と伏兵を起こし、城から出てきた敵軍を追撃した。
すると、竹中半兵衛が言った通り、敵軍が羽柴秀吉の陣の前を通ったので、羽柴秀吉は手勢を出し、側面から敵を攻撃した。
そこで、偽りの敗走をしていた神子田半左衛門も竹中半兵衛の指示通りに、とって返し、敵軍を攻めた。
結局、敵軍は、小寺官兵衛・羽柴秀吉・神子田半左衛門に三方から囲まれて全滅した。
三木城の戦いで、小寺官兵衛と竹中半兵衛は両輪のごときに活躍し、作戦を打ち合わせもせず、合図も無かったが、お互いの意図を察知して、阿吽の呼吸で臨機応変に作戦を変更し、敵を駆逐していったという。
[注釈:小寺官兵衛(黒田官兵衛)と竹中半兵衛の事を合わせ「二兵衛(両兵衛)」と呼ばれる場合があるが、「二兵衛(両兵衛)」は歴史小説家が付けた愛称なので、一般的ではない。]
さて、小寺官兵衛は織田信長から、備前・備中・美作(いずれも岡山県)の3国を治める大名・宇喜多直家の調略を命じられており、三木城の兵糧攻めが膠着状態に陥ると、宇喜多直家の調略にあたった。
実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)の野望」のあらすじとネタバレ播磨編「小寺官兵衛と宇喜多直家の寝返りのネタバレ」へ続く。