小寺官兵衛と宇喜多直家の寝返りのネタバレ
2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレの播磨編「小寺官兵衛と宇喜多直家の寝返りのネタバレ」です。
このページは「黒田官兵衛と竹中半兵衛で二兵衛-三木城の戦い」からの続きです。
実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレの目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。
■宇喜多直家のあらすじ
播磨の赤松家は播磨・備前・美作の守護大名であったが、備前の家臣・浦上宗村の下克上によって赤松家は衰え、備前・美作は浦上宗村に奪われた。
しかし、浦上宗村の孫・浦上宗景の時代に、浦上家の家老・宇喜多直家が明石景親の支援を受けて台頭すると、浦上宗景は家臣・宇喜多直家に討たれた。
こうして、宇喜多直家は下克上によって大名にのし上がり、備前・備中・美作(いずれも岡山県)の3国を治める大名にまで発展した。
その後、宇喜多直家は中国地方の毛利輝元の傘下に入り、一時は西播磨にまで勢力を伸ばしていた。
このため、播磨(兵庫県)へ進軍した織田信長は、小寺官兵衛(黒田官兵衛)に「毛利の手前に宇喜多が居るので、宇喜多を退治して、毛利を滅ぼせ」と命じていたのである。
■宇喜多直家の寝返り
さて、備前・備中・美作(いずれも岡山県)を支配する宇喜多直家の影響は、西播磨にまで及んでおり、西播磨の上月城は宇喜多直家の支配下にあった。
しかし、この上月城は羽柴秀吉の侵攻を受けて羽柴秀吉に奪われ、尼子勝久に与えられた。
その後、毛利輝元は水路と陸路から播磨へと兵を送り、陸路からは毛利軍の吉川元春と小早川隆景が5万の軍勢を率いて上月城へと迫った。
上月城は元々、宇喜多直家の支配下だったので、この戦いは領地回復に繋がるのだが、宇喜多直家は病気と称して出陣せず、弟・宇喜多忠家を参加させていた。
このことから、織田信長から宇喜多直家の討伐を命じられていた小寺官兵衛(黒田官兵衛)は、宇喜多直家の行動から、宇喜多直家は心底は毛利輝元に属していないと察知し、説得を試みた。
宇喜多家には、宇喜多直家の台頭に貢献した重臣・明石景親が居る。宇喜多家の明石景親は、播磨・明石家の同族で、明石城の城主・明石正風の甥であった。
小寺官兵衛の母親は、明石正風の娘なので、小寺官兵衛は明石景親と親戚関係にあった。小寺官兵衛は親戚の縁に頼って宇喜多家へ使者を送ったという。
小寺官兵衛は宇喜多家に使者を送り、「毛利輝元は大国の主だが、天下を治める器では無い。毛利輝元は西播磨に大軍を派遣したが、上月城を1つ落とした事に満足し、我々を追撃しなかった。それに、私は阿閉城(あべじょう)で毛利の大軍を退けた。一方、織田信長は天下の都を領し、四方に命令を飛ばす天下の将である。貴殿は毛利輝元に属しているが、元来、毛利家から恩を受けているわけではない。力量の無い毛利家を頼るより、織田信長を頼れば、宇喜多家の繁栄になる」と説得する。
宇喜多直家は直ちに家老を集めて意見を求めると、家老は「小寺官兵衛の意見に従い、毛利輝元に背いて、織田信長に属するのがよろしい」と言う意見で一致した。
評議が決すると、宇喜多直家は直ぐに家老・花房助兵衛(花房志摩守)を小寺官兵衛の元へ派遣し、織田信長への降参を申し出た。
小寺官兵衛は花房助兵衛を羽柴秀吉に会わせると、羽柴秀吉は大いに喜び、花房助兵衛に太刀を与えた。
このようななか、天正6年(1578年)10月に突如として摂津(大阪府北部)を治めていた有岡城の城主・荒木村重が織田側から毛利側へと寝返ったのである。
実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)の野望」のあらすじとネタバレ播磨編「荒木村重が小寺官兵衛(黒田官兵衛)を幽閉したあらすじとネタバレ」へ続く。
コメント欄
“東播磨の上月城”
→西播磨ですね。祖父の実家があります。
■名無しの壺さんへ
誤字のご指摘ありがとうございます。西播磨が東播磨になっていましたので、西播磨に訂正しました。
5月連休に播磨の国を探訪します。上月城も予定しておりますので
今から凄く楽しみです。(^o^)
■肥前の野心家さんへ
播磨訪問は羨ましいですね。兵庫県は黒田官兵衛で盛り上がっているらしいので、楽しんで来てくださいね。
本当に播磨探訪楽しみです。大河ドラマも録画して週に3回は観てますよ。
時間が許す限り三木城にも行きたいですね。