朝鮮出兵-小西行長の抜け駆け
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「朝鮮出兵-小西行長の抜け駆けのあらすじとネタバレ」です。
このページは「朝鮮出兵(唐入り)と李氏朝鮮の状況のあらすじとネタバレ」からの続きです。
実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。
■朝鮮出兵-小西行長の抜け駆け
日本軍の1番隊・小西行長は、豊臣秀吉から李氏朝鮮との交渉を命じられており、李氏朝鮮に対して粘り強く「仮道入明(かどうにゅうみん)」を求めた。
仮道入明(かどうにゅうみん)とは、「明(中国)に攻め入るときに道を貸せ」という通行許可であったが、日本が攻めてこない考えていた李氏朝鮮は「仮道入明」の要求を無視した。
このため、文禄元年(1592年)4月7日、1番隊・小西行長は、李氏朝鮮との交渉を諦めて武力侵攻に切り替えた。ついに、豊臣秀吉による朝鮮出兵が始まるのである。
日本軍の先陣は、1番隊・小西行長、2番隊・加藤清正、3番隊・黒田長政の計10万であった。
文禄元年(1592年)4月12日、日本軍の先陣は名護屋を出帆し、翌朝に壱岐国の風本(長崎県壱岐市)に入った。
逆風が激しいので、日本軍の先陣は壱岐国の風本で波風が治まるのを待っていたが、1番隊・小西行長は抜け駆けして功名を得るため、密かに船頭・甚五郎を呼んで、「酷い波風だが、朝鮮まで渡れるか?」と問うた。
すると、何度も朝鮮に渡っている船頭・甚五郎は「今日の波風は恐れるに足らず。一度こぎ出して海岸を離れれば、箭(矢)の如く、朝鮮に達する」と答えた。
その答えを聞いた1番隊・小西行長は大いに喜び、2番隊・加藤清正や3番隊・黒田長政に内緒で密かに出港し、文禄元年(1592年)4月13日に朝鮮半島南部にある釜山(プサン)に上陸した。
そして、1番隊・小西行長や宗義調は文禄元年(1592年)4月13日の早朝に李氏朝鮮の釜山城を包囲した。そして、1番隊・小西行長は、同日午前6時に釜山城(プサン城)への攻撃を開始し、その日の昼に釜山城を攻め落とした。
釜山城に突入した小西行長は、戦の血祭りとして、釜山城の男女や犬猫をことごとく斬り殺し、3万の切り首を挙げたと伝わる。
2番隊・加藤清正と3番隊・黒田長政は、1番隊・小西行長の抜け駆けに気づいて、壱岐国の風本を出帆したが、暴風雨に阻まれ、足止めを食らい、朝鮮半島への上陸は数日遅れることになる。
さて、1番隊の小西行長・宗義調は、釜山城を落とすと、北東へと進み東莱城(トンネ城)を攻め落とした。
(注釈:東莱城は、後に起こる「黒田官兵衛の囲碁事件」の舞台となる場所です。)
そして、1番隊の小西行長は、東莱城を落として、李氏朝鮮水軍の拠点を奪い、海上の安全を確保すると、李氏朝鮮の首都・漢城(ハンソン=現在のソウル)を目指して兵を進めたのであった。
実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「小西行長と忠州の戦いのあらすじとネタバレ」へ続く。