黒田官兵衛の朝鮮出兵

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「黒田官兵衛の朝鮮出兵のあらすじとネタバレ」です。

このページは「黒田長政の朝鮮八道の征伐のあらすじとネタバレ」からの続きです。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ目次は「実話-軍師・黒田官兵衛(黒田如水)-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

■李舜臣の援軍
1番隊・小西行長が文禄元年(1592年)5月3日に李氏朝鮮の首都・漢城(ハンソン)を占領したころから、李氏朝鮮の水軍に動きがあった。

朝鮮半島の南東部に朝鮮八道の白国(慶尚道)があり、元均(ウォン・ギュン)という水軍大将が白国(慶尚道)の水軍を指揮していた。

しかし、1番隊・小西行長が白国(慶尚道)の釜山(プサン)から上陸すると、元均(ウォン・ギュン)は、武器を海に沈め、戦わずして南海県へ逃げた。

このため、1番隊・小西行長は、簡単に白国(慶尚道)の水軍の拠点を制圧して、海域の安全を確保し、日本軍が安全に朝鮮半島へと渡れるようにした。

その後、南海県へ逃げた元均(ウォン・ギュン)は、朝鮮半島の南西部にある赤国(全羅道)の水軍に助けを求めた。

こうして、元均の要請を受けた李舜臣(イ・スンシン)と李億祺(イ・オッキ)が全羅道の水軍を率いて、慶尚道(キョンサンド)海域に駆けつけ、日本水軍と戦うことになった。

李氏朝鮮は明(中国)の冊封国(属国)と成り、長らく戦の無い時代を過ごしていたため、李氏朝鮮の陸軍は鍛えられておらず、戦い方を知る大将も居なかった。

しかし、赤国(全羅道)の水軍大将・李舜臣は倭寇(海賊)退治をしていたので戦い方を知っていた。

さらに、李舜臣(イ・スンシン)は武装船「亀甲船」を開発していたとされ、李舜臣は武装船「亀甲船」で、日本水軍を数度にわたり、駆逐したという(亀甲船については詳細不明)。

文禄元年(1592年)5月7日には、藤堂高虎の水軍が李舜臣(イ・スンシン)の朝鮮水軍に大敗してしまう。日本水軍はその後、数度にわたり、李舜臣の水軍に敗北したが、日本軍が対応策をとると、李舜臣の戦果も次第に衰えていったのであった。

(注釈:昔は「李舜臣の水軍が日本の海上輸送を度々、脅かしたため、日本軍は兵糧不足に陥った」という説が定着していたが、最近は「李舜臣の水軍は、日本の海上輸送に影響は無かった」という説が主流である。)

■黒田官兵衛の朝鮮出兵
文禄元年(1592年)5月16日、名護屋に滞在する豊臣秀吉に「首都の漢城(ハンソン)が落城した」という報告が届く。首都の落城はその国を制圧したことを意味するので、豊臣秀吉はこの知らせに喜んだ。

豊臣秀吉は漢城(ハンソン)を拠点にして明(中国)へと侵攻する計画を立てていたので、直ぐに朝鮮半島へと渡ろうとしたが、名護屋城に居る徳川家康や前田利家から猛反対され、豊臣秀吉の渡航は度々、延期となった。

豊臣秀吉の渡航延期の理由は「天候の悪化」であったが、本当の理由は李舜臣(イ・スンシン)の朝鮮水軍によって海上の安全が脅かされているからだとされる。

そこで、豊臣秀吉は軍師・黒田官兵衛を名代として朝鮮半島に派遣し、朝鮮半島に在住する日本軍に「黒田官兵衛は知謀のある者なれば、万事、相談するべし」と命じたのである。

こうして、黒田官兵衛の朝鮮渡航が決まり、朝鮮半島に渡った黒田官兵衛は、文禄元年(1592年)5月21日に李氏朝鮮の首都・漢城(ハンソン=現在のソウル)へ入った。

日本軍は文禄元年(1592年)5月3日に漢城(ハンソン)を占領しており、黒田官兵衛が漢城に入ったとき、日本軍は朝鮮全土の治安を回復するため、朝鮮八道の征伐に乗り出していた。

2番隊・黒田長政は黄国(江原道=ファンヘド)を征伐中だったが、黒田官兵衛が漢白(ハンソン)に到着したという報告を受けると、黄国(江原道)に大軍を残して急いで漢城へと戻り、黒田官兵衛と対面した。

このとき、黄国(江原道)の奥から数万の李氏朝鮮軍が現れたので、残してきた黒田長政の先手は大いに苦しんだ。

黒田官兵衛と対面していた黒田長政は、敵軍襲来の報告を受けると、直ぐに漢城(ハンソン)を発ち、日夜をかけて戦場へと戻った。

さて、物見に出た黒田長政の先手は李氏朝鮮軍を発見したが、敵は大勢で味方は小勢だったため、黒田長政の先手は戦わず、鉄砲を撃ちながら撤退した。

黒田長政の先手は大勢の李氏朝鮮軍に追われて難儀したが、松山に退くと、李氏朝鮮軍は伏兵に警戒して攻めてこなかった。

こうして、黒田軍の先手は九死に一生を得て撤退したところに、黒田長政が旗本も率いて駆けつけた。

そして、黒田長政は「今日は、先手と定められて初の合戦なり。仕損じては、我が家の恥辱となり、ことさら味方の弱りなり。大事な戦なれば、先手は言うに及ばず、士卒に至るまで粉骨を尽くしたまえ」と下知した。

すると、黒田長政の先手・黒田三左衛門は1番に敵に斬りかかり、敵の首を取ると、さらに敵を討ち取った。

先手の戦は早くも始まったので、黒田長政は旗本を率いて李氏朝鮮軍の横合いから切り込んだ。

李氏朝鮮軍は数万の大軍だったが、黒田軍は大将から士卒まで心をひとつにして命の限り攻め立てたので、李氏朝鮮軍は切り崩されて敗走する。

黒田長政は李氏朝鮮軍を敗走させたが、敵は大軍だったので、反撃されたら大きな被害を受けると思い、李氏朝鮮軍を追撃せずに引き上げた。黒田軍がこの日、討ち取り、切り捨てた敵は何百人にも及んだ。

実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)」のあらすじとネタバレ朝鮮出兵編「吉田又助は大河の見積もり上手のあらすじとネタバレ」へ続く。

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