天皇の料理番・秋山徳蔵の年表
ドラマ・原作小説「天皇の料理番」の主人公となる秋山徳蔵の生涯をあらすじとネタバレで描く「天皇の料理番・秋山徳蔵のあらすじとネタバレ」の年表編「天皇の料理番・秋山徳蔵の年表のネタバレ」です。
天皇の料理番・秋山徳蔵のあらすじとネタバレの目次は「天皇の料理番・秋山徳蔵のあらすじとネタバレ」です。
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年号 | 西暦 | 年齢 | あらすじ |
明治21年8月30日 | 1888年 | 0歳 | 高森徳蔵(後の秋山徳蔵)は福井県南条郡武生町で、料理屋の次男として生まれる。 |
数え10歳 | 高森徳蔵は寺に入り小坊主となるが、開祖以来の住職の墓を倒し、破門される。 | ||
野糞をしている乞食の金玉を竹の棒で突き、乞食に追い回される。 | |||
明治30年頃 | 高森徳蔵が福井県南条郡武生町橘にある八屋で奉公する。 | ||
明治32年3月 | 1899年 | 11歳 | 高森徳蔵が武生町の尋常小学校を卒業する。 |
高等1年生 | 高森徳蔵は米屋になるために大阪へ出るが、父親に連れ戻される。 | ||
明治35年3月 | 1902年 | 14歳 | 高森徳蔵が武生町の尋常高等小学校を卒業する。 |
不明 | 高森徳蔵は鯖江36連隊で始めて西洋料理と出逢い、西洋料理人を志す。 | ||
明治37年8月 | 1904年 | 16歳 | 高森徳蔵が華族会館の調理部に就職する。 |
明治38年12月 | 1905年 | 17歳 | 高森徳蔵が築地精養軒に就職する。 |
高森徳蔵は駐日ブラジル公使館に就職していたらしい。詳細は不明。 | |||
明治40年11月 | 1907年 | 19歳 | 高森徳蔵が三田東洋軒の4代目料理長に就任する |
明治42年5月 | 1909年 | 20歳 | 高森徳蔵がシベリア鉄道でドイツに渡り、ベルリンへにあるホテル・アドロンに就職する。 |
明治43年6月 | 1910年 | 21歳 | 高森徳蔵がフランス・パリの「オテル・マジェスティック」に就職する。 |
明治45年7月 | 1912年 | 23歳 | 高森徳蔵がフランスの高級レストラン「キャフェ・ド・パリ」に就職する。 |
明治45年7月 | 1912年 | 23歳 | 明治天皇が崩御し、大正天皇が即位する。 |
明治45年=大正元年 | 1912年 | 23歳 | 高森徳蔵が南フランスのニースにあるオテル・マジェスティックに就職する。 |
大正2年3月 | 1913年 | 24歳 | 高森徳蔵が日本大使館の要請を受けて帰国する。 |
大正2年4月 | 1913年 | 24歳 | 高森徳蔵が東京倶楽部に料理部長として就職する。 |
大正2年6月 | 1913年 | 24歳 | 高森徳蔵が翻訳本「仏蘭西料理全書」を出版する。 |
大正2年7月 | 1913年 | 24歳 | 高森徳蔵が下宿していた秋山家の一人娘・秋山俊子と結婚し、秋山家に養子に入り、秋山徳蔵となる。 |
大正2年10月 | 1913年 | 25歳 | 秋山徳蔵が宮内省大膳寮に就職する。 |
大正2年11月 | 1913年 | 25歳 | 秋山徳蔵が宮内省大膳寮司厨長に任命される。 |
大正3年1月 | 1914年 | 26歳 | 妻・秋山俊子が長男の秋山匡を出産する。 |
大正4年11月 | 1915年 | 27歳 | 秋山徳蔵が大正天皇の御大礼の料理を取り仕切り、成功させる。 |
大正5年3月 | 1916年 | 28歳 | 妻・秋山俊子が長女の秋山栄子を出産する。 |
大正8年 | 1918年 | 31歳 | 尊敬する大膳頭・福羽逸人が辞職し、秋山徳蔵も辞職しようとするが、大膳頭・福羽逸人に辞職を止められる。 |
大正9年5月 | 1919年 | 31歳 | 妻・秋山俊子が次男の秋山鉄蔵を出産する。 |
大正9年9月 | 1919年 | 32歳 | 料理研究のためヨーロッパへ出張し、皇太子・裕仁親王(後の昭和天皇)のヨーロッパ外遊に参加する。その後、アメリカで料理研究をして帰国する。 |
大正15年12月 | 1926年 | 38歳 | 大正天皇が崩御し、昭和天皇が即位する。 |
昭和3年1月 | 1928年 | 39歳 | 妻・秋山俊子が死去する。 |
昭和4年2月 | 1929年 | 40歳 | 岸本きくと再婚する。 |
昭和4年11月 | 1929年 | 41歳 | 後妻・岸本きくが三男・秋山三郎(蜂谷三郎としてNHKの歴史秘話ヒストリアに出演した人)を出産する。 |
昭和11年8月 | 1936年 | 48歳 | 後妻・岸本きくが四男・秋山四郎を出産する。 |
昭和16年12月 | 1941年 | 53歳 | 日本が真珠湾攻撃を行ない、第2次世界大戦に突入する。 |
昭和20年8月 | 1945年 | 57歳 | 日本が降伏する。 |
秋山徳蔵は天皇家を存続させるため、GHQの要人を接待に奔走する。(料理外交) | |||
昭和26年9月 | 1951年 | 63歳 | 日本がサンフランシスコ講和条約に署名し、秋山徳蔵の料理外交も終了する。 |
昭和30年3月 | 1955年 | 66歳 | 著書「味」を出版する。 |
昭和31年3月 | 1956年 | 67歳 | 著書「味の散歩」を出版する。 |
昭和34年3月 | 1959年 | 70歳 | 著書「料理のコツ」を出版する。 |
昭和38年5月 | 1963年 | 74歳 | 著書「テーブル・マナーのすべて」を出版する。 |
昭和46年2月 | 1971年 | 82歳 | フランス料理アカデミー名誉会員に選ばれる。 |
昭和47年10月 | 1972年 | 84歳 | 秋山徳蔵が宮内省大膳職主厨長を退職し、引退する。 |
昭和48年4月 | 1973年 | 84歳 | 秋山徳蔵が勲三等に叙せられ、瑞宝章を受ける。 |
昭和49年7月14日 | 1974年 | 85歳 | 秋山徳蔵が死去し、従四位・正四位を贈られる。 |
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