天皇の料理番-高浜俊子のモデルは秋山俊子
TBSドラマ「天皇の料理番」の主人公となる秋山徳蔵の生涯をあらすじとネタバレで描く「実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレ」の登場人物のモデル編「天皇の料理番-高浜俊子のモデルのネタバレ」です。
実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレは「実話・天皇の料理番-あらすじとネタバレ」をご覧下さい。
■天皇の料理番-高浜俊子のモデル
TBSドラマ「天皇の料理番」に登場する高浜俊子(黒木華)の実在のモデルは、秋山徳蔵の妻・秋山俊子です。
(注釈:実話では、秋山徳蔵の本姓が「高浜」で、秋山徳蔵は秋山俊子と結婚して秋山家の養子に入り、秋山姓を名乗るようになります。)
■秋山俊子の生涯
秋山俊子は明治30年(1897年)頃に秋山家の長女として生まれた。大正2年、秋山俊子が双葉女学校に通っており、熱心カトリック教徒だったが、フランスから帰国した秋山徳蔵(旧姓は高浜徳蔵)が秋山家に下宿しており、秋山徳蔵(高浜徳蔵)と結婚する。
(注釈:2人が結婚したとき、秋山徳蔵は26歳で、秋山俊子は17歳でしたが、おそらく年齢は数え年です。)
秋山俊子は大正3年1月に長男・秋山匡を出産し、大正5年3月には長女・秋山栄子を出産する。そして、大正9年5月に次男・秋山鉄蔵を出産した。
しかし、秋山俊子は昭和元年頃に肺結核にかかり、昭和3年1月に死去する。
秋山俊子は夫・秋山徳蔵の短気を心配しており、死ぬ間際に秋山徳蔵を枕元に呼んで、これまでの礼を言うと、財布につけていた鈴を秋山徳蔵に握らせ、「たったひとつ、心配なのは、貴方の癇癪でいらっしゃることです。貴方のお仕事は。本当にこの上ないお仕事です。お願いですから、役所へいらっしゃるとき、坂下門をお入りになる時に、この鈴を鳴らして下さいませ。そして、私が心配している事を思い出して下さいませ」と言い残して死んでいった。
秋山徳蔵は喪中35日間の勤めを遠慮して休み、しばらくは形見の鈴を眺めて無気力状態にあり、周囲の者も心配したが、翌年の昭和4年2月に「岸本きく」と再婚した。
秋山徳蔵は先妻・秋山俊子を大変愛しており、「忘れられない2人のご婦人」として貞明皇后と先妻・秋山俊子の名前を挙げている。
ただ、秋山徳蔵は年間行事が嫌いで、年賀状なども極力出さない人だったので、先妻・秋山俊子の法事などは一切やらなかった(注釈:法事などは、子供が勝手にやっていたが、秋山徳蔵は出なかった)。
■注釈
原作の秋山徳蔵は、福井県時代に「ふじ」という女性と結婚したが、西洋料理を学ぶために東京に出た後、「ふじ」と離婚し、フランスから帰国後に「俊子」と結婚している。
ドラマ「天皇の料理番」に登場する高浜俊子(黒木華)は、最初の妻「ふじ」と2番目の妻「俊子」の2人を1人にまとめた人物です。
ドラマ「天皇の料理番」の登場人物の実在のモデル一覧は「天皇の料理番-実在のモデル」をご覧下さい。
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コメント欄
誤: 、秋山姓を名乗るようになます。)
になっており、
正: 、秋山姓を名乗るようになります。)
ではないでしょうか?
■りんさんへ
ご指摘ありがとうございます。誤字がありましたので、訂正しました。
俊子の最後の言葉の中に誤字が二ヶ所あります。稲外⇒おねがい、
渡しが⇒私が だと思います。
■かずさんへ
ご指摘ありがとうございます。誤字がありましたので、訂正しました。
明治30年が1990年と誤記
ご指摘ありがとうございます。訂正しました。