天皇の料理番-秋山徳蔵のザリガニ事件
TBSのドラマ「天皇の料理番」のモデルとなる秋山徳蔵の生涯を描く「実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレ」の実話編「天皇の料理番-の秋山徳蔵のザリガニのスープ事件のあらすじとネタバレ」です。
このページは「秋山徳蔵の生涯-天皇の料理番に就任のあらすじとネタバレ」からの続きです。
実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレの目次は「実話・天皇の料理番-あらすじとネタバレ」をご覧下さい。
■天皇の料理番-秋山徳蔵のザリガニ事件
大正天皇の即位の大礼の準備は着々と進んでおり、宮内省大膳寮の司厨長(料理長)となった秋山徳蔵も急いで、大正天皇の即位の大礼で出す料理の献立を考えなければならなかった。
秋山徳蔵は即位の大礼の為に日本に呼び戻されたので、最高の料理を作らねばならないと思っていた。そのためには、滅多に味わえない珍味を一品は付けたいと考えた。
秋山徳蔵は頭の中で献立を考え、何千という料理を作り、ああでもない、こうでもない、と考えていくうちに、捨ててみても、落としてみても、どうしても頭から離れない料理があった。その料理の1つがクレーム・デグルヴィッス(ザリガニのクリーム仕立てのポタージュ)であった。
日本の用水や川に生息するザリガニは、アメリカから食用カエルを輸入した時に、蛙の餌として一緒に輸入したアメリカザリガニである。
食用カエルと一緒にアメリカザリガニも池に放流したところ、アメリカザリガニは強力な繁殖力を持っていたため、日本全土に広まった。アメリカザリガニも食べられるが、アメリカザリガニは泥臭くて不味い。
一方、フランス料理に使うザリガニは、エクルヴィッスと呼ばれ、アメリカザリガニのように泥臭くなく、フランスでは高級食材として扱われている。
フランスの高級料理店では、エクルヴィッスが生息する渓流を年間契約で買い取り、エクルヴィッスを確保するのである。
日本でも、フランスのザリガニ(エクルヴィッス)とは品種が違うが、北海道の山奥の渓谷に上質なザリガニが生息しており、アイヌ民族はザリガニを食べる習慣があった。希に内地の人もザリガニを人が居たので、ザリガニを捕る方法が伝わっていた。
北海道のザリガニは味噌が好きなので、水嚢(すいのう=網杓子のようなもの)に味噌を入れ、谷川に漬けると、ザリガニが穴から出てくる。こを捕まえるのである。
秋山徳蔵は北海道に上質なザリガニが生息している事を知っていたので、献立にクレーム・デグルヴィッス(ザリガニのクリーム仕立てのポタージュ)を加えたのだが、餐宴には2000人が参列するので、予備を入れてザリガニが3000匹は必要であった。
3000匹のザリガニを捕るのは並大抵のことではなかったが、幸いなことに、大膳頭・福羽逸人の知人が北海道・旭川で師団長をしていたので、師団長に協力を要請すると、師団長は兵隊を動員して3000匹のザリガニを捕っくれた。
大正4年(1915年)8月、大正天皇が日光にある田母沢御用邸で避暑中していた。秋山徳蔵も大正天皇にお供して田母沢御用邸に来ていたので、北海道でとったザリガニを生きたまま田母沢御用邸へ送ってもらった。
そして、田母沢御用邸の近くを流れる大谷川に生け簀を作り、ザリガニを放した。大谷川沿いに上質なザリガニが生息しているのは、この時の名残だという。
大正4年(1915年)10月、大谷川に生け簀に放流していたザリガニが京都へ運ばれる。餐宴は二条離宮(二条城)で行なわれるため、二条離宮に臨時の厨房が新設されていた。秋山徳蔵は新設された厨房の一部に四方を金網で囲った生け簀を作り、ザリガニを入れておいた。
ところが、大正天皇の即位の大礼が目前に迫ったある日の朝、部下が「ザリガニが盗まれました」と慌ててやって来たのである。
秋山徳蔵が「ザリガニを?あんなものを盗む奴が居るか」と部下を怒鳴りつけて生け簀を見に行くと、生け簀からザリガニが消えていた。1匹も残らずに消えていたのである。
あり得ない光景に秋山徳蔵は呆然とした。厨房には厳重に鍵を掛け、関係者以外は絶対に立ち入らせないし、隣には大膳の職員が大勢、泊まり込んでいるのに、いったい誰がどうやってザリガニを盗み出したのか・・・犯人は何の目的でザリガニを盗んだのか。
しかし、それよりも重要なのは、料理をどうするかだった。既に献立表は刷り上がっており、献立を変更しようにも、新たな献立表を刷り上げる時間は無いし、代わりのザリガニを捕る時間も無い。
大正天皇の即位の大礼は、日本が先進国であることをアピールする重要な機会で、2000人もの国賓を迎えており、その目玉の1つがフランス料理である。国家の威信を賭けたイベントを前に、今更、ザリガニが盗まれましたでは済まされない。これは切腹ものの不祥事であった。
一報を聞いた大膳頭の福羽逸人も厨房に駆けつけ、皇宮警察も出動してこの不可解な事件の調査に乗り出したが、事件の真相は藪の中であった。
しかし、3時間ほど経過した頃、部下がザリガニを見つけたと言って、秋山徳蔵の所にやってきた。
秋山徳蔵が慌てて厨房へ行くと、壁際に置いてあった荷物の影に、ザリガニ5~6匹が固まって居た。部下は別の用事で荷物を持ち上げたところ、荷物の影に隠れていたザリガニを見つけたのだという。
秋山徳蔵らは急いで壁際の荷物を全て持ち上げると、次々にザリガニが見つかった。捕まえたザリガニを数えてみると、不足はわずかに5~6匹だった。秋山徳蔵は安堵してその場にへたり込んでしまった。
その後、生け簀からザリガニが消えた原因を落ち着いて調べてみると、原因はとても単純であった。
実はザリガニの生け簀に水道の水を出しっぱなしにしていたのだが、隣の部屋で寝ていた厨房員の1人が水の音が気になって眠れなかったので、水道の蛇口から水面まで布巾を垂らし、水の音がしないようにして眠りに就いていた。
厨房には電灯がついていたのだが、ザリガニは習性的に光が苦手で暗いところを好むため、天から降りてきた布巾を伝って生け簀の外に逃げ出し、光の当らない荷物の影に逃げ込んだのである。
無事に約3000匹のザリガニを見つけた秋山徳蔵は、無事にクレーム・デグルヴィッス(ザリガニのクリーム仕立てのポタージュ)を作る事ができ、初の大役である即位の大礼を無事に成功させた。
秋山徳蔵の料理は日本のアピールに貢献し、日本は一等国と認められ、5年後の大正9(1920)年に国際連盟の常任理事国に成ったのである。
ザリガニのスープについて、秋山徳蔵は後に、クレーム・デグルヴィッス(ザリガニのクリーム仕立てのポタージュ)を献立に入れたことについて「いまにして思えば、あれを献立の中に入れなければ良かったのだ。が、当時は私も26歳の若さだった」と語っている。
なお、秋山徳蔵は好んでエビの絵を描いている。あの絵をザリガニだと勘違いしている人も居るが、絵に描いたのはエビである。
■天皇の料理番-大膳頭の福羽逸人が退職
大膳頭の福羽逸人は、農学博士にして栽培や接ぎ木の名人で、新宿御苑を手がけ、日本のイチゴ栽培に貢献した人物で、秋山徳蔵は大膳頭の福羽逸人をたいへん尊敬していた。
秋山徳蔵は大膳頭の福羽逸人が居たからこそ、27歳の若さで大正天皇の即位の大礼という重責を務める事が出来たのである。
しかし、宮内省の再編があり、福羽逸人が手がけていた新宿御苑が宮内省大膳寮から宮内省内匠寮へと変更され、福羽逸人の管轄から離れた。
福羽逸人は下人に任せておけば良いような菜園の手入れも自分でやる人だったので、新宿御苑の一部でも大膳に残して欲しいと申し入れていたのだが、一切、聞き入れなかった。このため、福羽逸人は大正8年(1875年)に辞職した。
大正8年(1875年)、秋山徳蔵は宮内省大膳職主厨長に任命されたが、尊敬する福羽逸人が辞職したので、福羽逸人の後を追って辞職することを望んだ。
しかし、福羽逸人が「貴方は大膳に必要な人間だ」と言って辞める事を禁じたので、秋山徳蔵は宮内庁大膳寮に残り、大正天皇・昭和天皇の2代にわたり天皇の料理番を務めることになる。
実話・天皇の料理番の実話編「天皇の料理番-秋山徳蔵と昭和天皇のヨーロッパ外遊のあらすじとネタバレ」へ続く。
スポンサードリンク