天皇の料理番-秋山徳蔵の妻・秋山俊子が死去
TBSのドラマ「天皇の料理番」のモデルとなる秋山徳蔵の生涯を描く「実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレ」の実話編「天皇の料理番-秋山徳蔵の妻・秋山俊子が死去のあらすじとネタバレ」です。
このページは「天皇の料理番-秋山徳蔵と昭和天皇のヨーロッパ外遊のあらすじとネタバレ」からの続きです。
実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレの目次は「実話・天皇の料理番-あらすじとネタバレ」をご覧下さい。
■天皇の料理番-秋山徳蔵と果物
秋山徳蔵は天皇に少しずつ複数種類の果物を食べてもらおうと思い、果物を切って出すと、宮中では果物を切って出さない決まりになっていたので、宮内次官の関屋貞三郎が「果物は切って出すものではない。今後はこういうことをしないで下さい」と秋山徳蔵を注意した。
秋山徳蔵は短気なので怒って「そうですか。じゃー、メロンでもスイカでも、今後は丸ごと出しますから、そうお考えになっといてください」と言い返すと、宮内次官の関屋貞三郎も困り果ててしまい、果物についての苦情は言わなくなった。
秋山徳蔵の短気は宮中に入ってもら直らず、偉い人にでもズケズケと物を言うので、妻・秋山俊子にとっては短気が心配の種であった。
■天皇の料理番-秋山徳蔵の妻・秋山俊子が死去
フランスで修行していた秋山徳蔵は、フランスの日本大使館から天皇の料理番への就任招請を受け、大正2年3月に帰国した。
妻・秋山俊子は、秋山徳蔵がヨーロッパから帰国した時に下宿していた秋山家の1人娘で、双葉女学校に通うキリシタン(クリスチャン)であった。
下宿していた秋山徳蔵は次男で家を継ぐ必要が無かったため、大正2年7月に秋山俊子と結婚して秋山家の養子に入り、大正2年10月に宮内省大膳寮に就職し、天皇の料理番となり、大正天皇の即位の大礼などを成功させた。
一方、妻の秋山俊子は長男の秋山匡、長女の秋山栄子、次男の秋山鉄蔵の2男1女を出産して家庭を守っていたが、昭和元年ごろに肺結核にかかり床に就いた。
秋山徳蔵は仕事に通いながら、自宅で妻・秋山俊子を看病していたが、病気は悪化の一途をたどり、1年半もすると、ついには動けなくなり、秋山徳蔵は口で痰を吸い取ってやらなければ、妻・秋山俊子は痰を吐き出すことも出来なくなった。
やがて、妻・秋山俊子は死期を覚ると、秋山徳蔵を枕元に呼び、「たったひとつ、心配なのは、貴方が癇癪(短気)でいらっしゃることです。貴方のお仕事は、本当にこの上ないお仕事です。お願いですから、役所へいらっしゃるとき、坂下門をお入りになる時に、この鈴を鳴らして下さいませ。そして、私が心配している事を思い出して下さいませ」と言って財布につけていた鈴を秋山徳蔵に渡し、昭和3年(1928年)1月に死んだ。
秋山徳蔵は妻・秋山俊子の死を覚悟していたが、妻・秋山俊子が死ぬと抜け殻のようになってしまい、忌中の35日間は仕事を休み、家に引き籠もった。
さて、皇太后から悔やみの言葉を頂いていたので、秋山徳蔵は大宮御所へ行き、皇太后に礼を述べると、皇太后は入江大夫を通じて秋山徳蔵に1体の人形をプレゼントした。
皇太后は大正天皇を失って間もない頃だったので、最愛の妻を失った秋山徳蔵の気持ちが分かり、残された子供を大切にせよという意味を込めて、人形をくれたのだろう。
翌日、秋山徳蔵が大宮御所へ行って入江大夫に人形を頂いた件で礼を述べると、入江大夫は「亡き妻の ゆめもめぐみも きかまほし 世々につたえよ これの人形(ひとがた)」という歌を詠んで、色紙に書いてくれた。
秋山徳蔵は、皇太后から頂いた人形と、入江大夫から頂いた色紙を家宝として大切にした。
秋山徳蔵は「忘れ得ぬ2人の婦人」として、貞明皇后と妻・秋山俊子の名前を挙げるほど、妻・秋山俊子の事を愛しており、秋山徳蔵は最愛の妻を失って抜け殻のようになっていたが、切り替えも早い性格だったらしい。
妻・秋山俊子が死んだ翌年の昭和4年2月、秋山徳蔵は「岸本きく」と再婚する。秋山徳蔵が岸本きくと再婚したのは、秋山徳蔵が40歳のことであった。
また、秋山徳蔵は年賀状なども極力書かず、行事などをしない人だったので、妻・秋山俊子の法事などもしなかった。子供たちが法事を勝手にやっていたが、秋山徳蔵は出席しなかった。
■天皇の料理番-妻・秋山俊子の思い出
ある日、秋山徳蔵は十年、二十年ぶりに浅草を訪れたとき、ふと、前妻・秋山俊子の事を思い出した。
新婚時代に、観音様にお参りに行こうというので、秋山徳蔵と妻・秋山俊子は浅草へ出かけたのだが、仲見世の入り口あたりで、何かが切っ掛けで口喧嘩になった。
秋山徳蔵は短気なので二言目か三言目には「おまえは、もう帰れ。俺は1人で行く」と言い、1人で歩き出し、仲見世の半分ほどに差し掛かったのだが、やはり気になって引き返すと、妻・秋山俊子は雷おこしの店で買い物をしていた。
秋山徳蔵は「つまらん物を買いやがって」と言い、妻・秋山俊子が買った雷おこしを引ったくって歩き出すと、妻・秋山俊子は後からついてきた。
観音様にお参りをして、尾上松之助の活動写真(映画)を見て帰る頃には、口喧嘩したことなどすっかり忘れており、帰ってすぐにお茶を入れて雷おこしを食べると、「つまらんもの」と言った雷おこしが、何ともいえずに美味かったのである。
秋山徳蔵は若返り法を実践しており、年をとっても「若い」と言われる事が多かった。こんな新婚生活の一コマを思い出して懐かしむのも、秋山徳蔵が実践していた若返り法の1つだった。
実話・天皇の料理番の実話編「天皇の料理番-貞明皇后と秋山徳蔵の禿げ頭のあらすじとネタバレ」へ続く。
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