天皇の料理番-昭和天皇は秋山徳蔵の料理に飽きた

TBSの料理ドラマ「天皇の料理番」のモデルとなる秋山徳蔵の生涯を描いた「実話・天皇の料理番」のあらすじとネタバレの実話編「天皇の料理番-昭和天皇は秋山徳蔵の料理に飽きた」です。

実話・天皇の料理番のあらすじとネタバレ目次は「実話・天皇の料理番-あらすじとネタバレ」をご覧ください。

このページは「天皇の料理番-秋山徳蔵と昭和天皇のフグ事件」からの続きです。

■昭和天皇が秋山徳蔵の料理に飽きた
戦前の天皇の行幸は大移動であった。天皇は大膳(天皇の料理番)が作った物しか食べてはいけないため、大膳が天皇の行幸に付いていく。天皇が飲む牛乳を搾るため、牛まで天皇に付いていく。

それだけではない。天皇の風呂やトイレも行幸に持って行くいかなければならないので、引っ越し泥この騒ぎではない。

しかし、戦後は天皇の行幸も経費削減で簡素化され、天皇も大膳が作った物以外を食べることが出来るようになった。それは、大膳の料理しか食べられなかった天皇の楽しみの1つになった。

天皇の料理番・秋山徳蔵は本場フランスからも認められる一流のシェフであったが、いくら一流のシェフの料理でも、毎日食べていれば、飽きるのである。

■昭和天皇の味噌松風事件
天皇陛下は、東京にいる時は大膳の作った料理以外は食べられないのだが、これには抜け道があり、献上品なら食べることが出来たので、侍従は京都に出かけると、味噌松風をお土産に買ってきて昭和天皇に献上した。

味噌松風は朝廷や江戸幕府にも献上されていた京都名物の和菓子で、昭和天皇は味噌松風が好きだった。

大膳も味噌松風を真似て作ってみるのだが、どうしても上手く作れないので、側近に苦情を漏らさなかった昭和天皇が「大膳は研究が足りない」と不満を漏らした。

■天皇の料理番・秋山徳蔵の敗北
あるとき、昭和天皇が那須御用邸へ行ったさい、栃木県が特製弁当を昭和天皇に差し入れた。2段重ねでかなりのボリュームであったが、昭和天皇は弁当をペロリと平らげた。

また、昭和天皇が長野県へ行幸したとき、長野県から出された「蜂の子の甘露煮」を食べて大変気に入り、翌朝、昭和天皇は蜂の子の甘露煮を食べようと思い、侍従に「まだ残ってるか?」と訪ねたら、侍従らが昨夜のウチに全て食べていた。

また、昭和天皇は平素、大膳が作ったトーストなど半分しか食べなかったが、行幸に出ると、トーストを2枚も3枚も食べる事が時々あった。

昭和天皇の食事のメニューを考えるのは、大膳課主房長で「天皇の料理番」と呼ばれる秋山徳蔵の仕事なので、昭和天皇が食べた物は全て記録され、大膳課主房長・秋山徳蔵に報告される。

その報告を見た大膳課主房長・秋山徳蔵は、昭和天皇は大膳が作った料理は残すのに、行幸先の料理はお代わりもするので、愚痴を言った。

実話・天皇の料理番の最終回-秋山徳蔵の切腹のあらすじとネタバレ」へ続く。

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