アルジャーノンに花束を-実話とモデルのロボトミー手術
ダニエル・キイスの小説「アルジャーノンに花束を」のあらすじと結末ネタバレ読書感想文の番外編「アルジャーノンに花束を-実話とモデルのロボトミー」です。
■実話とモデルの前置き
ダニエル・キイスの小説「アルジャーノンに花束を」はSF(サイエンスフィクション)であり、架空の小説です。
ダニエル・キイスが小説「アルジャーノンに花束を」を書く切っ掛けとなった障害者の少年は実在しますが、主人公チャーリーのモデルは居ません。
しかし、主人公チャーリーのような精神障害者に対して、ロボトミーという脳外科手術が行われていたのは事実です。
そこで、小説「アルジャーノンに花束を」を解釈し深く理解する上で、悪魔の手術「ロボトミー手術」を知る必要があると考え、ロボトミー手術の歴史を小説「アルジャーノンに花束を」の実話とモデルとして紹介します。
(注釈:主人公チャーリーは知能を得るために手術を受けましたが、モデルのロボトミー手術は精神病の治療として行われています。)
なお、小説「アルジャーノンに花束を」のあらすじと結末ネタバレは「アルジャーノンに花束を-あらすじと結末のネタバレ」をご覧ください。
■精神障害者の歴史
古来より精神障害者は存在しており、精神障害者は犯罪者のように扱われ、迫害されて殺されたり、宗教施設に隔離されていた。
特に有名な収容施設が、イギリスのベドラムである。ベドラムは精神病患者は鎖につなぎ、虐待していた。そして、ベドラムは入場料を取って精神障害者を見世物にしており、観光スポットとなっていた。
19世に入ると、ベドラムへの批判が始まり、精神障害者を解放する運動が起きた。そして、精神障害者の収容施設が精神病院へとなっていった。
■実話でアルジャーノン-脳科学が誕生したあらすじ
1848年(幕末の嘉永元年)9月、アメリカ・バーモント州で鉄道建設の工事現場で爆発事故があり、作業員フィネアス・ゲージの頭に鉄パイプが突き刺さる事故が発生した。
鉄パイプは作業員フィネアス・ゲージの脳の一部(前頭葉)を貫通したが、幸い作業員フィネアス・ゲージの命に別状は無かった。
ところが、作業員フィネアス・ゲージは急激に性格が変わったことから、人格の形成と前頭葉の関係に注目が集まり、脳の研究(俗に言う「脳科学」)が始まった。
■実話でアルジャーノン-優生学の誕生するあらすじ
さて、20世紀に入ると、「優生学(優生思想)」という概念が定着してきた。
優生学とは、優秀な者だけが子孫を残して人類を発展させるという思想で、ダーウィンの「弱い者は淘汰され、強い者だけが生き残る」という自然選択説や進化論が発展したものである。
優生学によって障害者は欠陥品とみなされるようになり、精神障害者は障害者コロニー(巨大な障害者収納施設)に隔離されるようになり、出産も制限された。
また、精神障害者などは子孫(遺伝子)を残す資格は無いとして断種法が制定され、精神障害者などは強制的に避妊手術が行われた。
■実話でアルジャーノン-IQ検査の誕生のあらすじ
さて、20世紀の初めになると、知的障害児を判別するため、知能テストが開発されるようになり、ドイツのウィリアム・シュテルンが1912年に「IQ(知能指数)」という概念を発表する。
そして、知能テストは軍隊にも採用され、第1次世界大戦のとき、心理学者ロバート・ヤーキーズが陸軍の依頼を受け、「集団式知能検査」を考案した。
集団式知能検査は、一度に大勢の知能指数を測定するためのテストで、兵士を部隊に配属するときの指標となった。
■実話でアルジャーノン-精神外科が誕生したあらすじ
1848年(幕末の嘉永元年)9月に起きた爆発事故で、前頭葉を損傷した作業員フィネアス・ゲージの性格が激変した事を切っ掛けに、脳の研究が始まった。
そして、1850年頃にドイツの医師グリージンガーが「精神病は脳病である」という仮説を元に脳病論を発表し、精神病の治療は脳へと向かった。
そのようななか、1889年(明治22年)、スイスの医師ゴットリーブ・ブルクハルトが精神病患者6人に対して脳を手術し、その結果を学会で発表した。これが世界初の精神外科手術だが、死者が出たことから、この手術は大きな批判を浴びた。
その後も動物実験で脳の研究は進み、脳の部位が特定の機能を持つ「脳機能局在論」が定着した。そして、1914年から始まった第1次世界大戦によて、脳を損傷する兵士が増えると、脳の研究は飛躍的に進化し、脳の地図が確立していった。
■フロイトの台頭
20世紀に入り、精神分析のフロイトなどの登場により、精神病をトラウマなどとする心因論が普及し、精神科医は「精神病は脳病である」という脳病派と、心理療法(精神療法)で精神病を治療する心因派に分かれた。
■実話でアルジャーノン-ロボトミーの誕生
1935年(昭和10年)、アメリカのイエール大学の研究チームが、チンパンジーのベッキーとルーシーを使って前頭葉の研究をしていたいた。
ルーシーは実験で異常は見られなかったが、ベッキーは実験になると、ノイローゼを起こし、暴れたり、脱糞したりと異常行動をとっていた。
しかし、ベッキーとルーシーの前頭葉切断したところ、ルーシーに変化は無かったが、ベッキーはノイローゼが治まり、実験に協力的になったことから、研究チームは「前頭葉切断を切断したことにより、ノイローゼが平癒した」と発表した。
1935年(昭和10年)、この発表を受けたポルトガルの神経科医アントニオ・エガス・モニスは、前頭葉の誤配線を切断すれば、脳の伝達回路が正常に戻ると考え、前頭葉白質切截(ロイコトミー)という前頭葉の白質を切断する手術道具(長いメス)を考案した。
アントニオ・エガス・モニスが考えたのは、左右のコメカミから頭蓋骨に穴を開け、前頭葉白質切截(ロイコトミー)を差し込んで、前頭葉の白質を切除する術式である。
(注釈:神経科医アントニオ・エガス・モニスは政治家ですが、1927年に「X線にる血管造影法」を発見した一流の神経科医でもありました。)
そして、アントニオ・エガス・モニスは、外科医アルメイダ・リマと組んで、20人の精神病患者に「前頭葉白質切截術」(ロイコトミー手術)を実施し、翌年の1936年(昭和11年)にロイコトミー手術の成果を論文で発表した。不安症や憂鬱症に効果はあったが、統合失調症や鬱病には効果は無かったという。
1936年(昭和11年)、発表を知ったジョージ・ワシントン大学の神経学者ウォルター・フリーマンは、アントニオ・エガス・モニスに連絡を取り、前頭葉白質切截(ロイコトミー)という手術道具を入手した。
そして、1936年(昭和11年)、ウォルター・フリーマンは神経外科医ジェームズ・ワッツと協力して死体でロイコトミー手術を試した後、不安症の熟女にロイコトミー手術を行い、手術を成功させた。これが、アメリカで初のロイコトミー手術である。
以降、ウォルター・フリーマンとジェームズ・ワッツは、20件のロイコトミー手術を行い、学会で「良好な結果が得られた」と発表した。
さらに、ウォルター・フリーマンとジェームズ・ワッツは、ロイコトミー手術に改良を加えた「前頭葉切除術(ロボトミー手術)」を開発し、「フリーマン・ワッツ術」と命名する。
ウォルター・フリーマンが手術を簡易化したこともあり、アメリカの有名大学病院などでロイコトミー手術が定着していった。
一方、神経科医アントニオ・エガス・モニスもロイコトミー手術と研究を重ね、前頭葉を切断しても記憶力に影響が無いことなどを発表する。
ところで、この当時、精神病患者への治療法は確立しておらず、刺激を与えれば脳が正常化すると考えられていたので、電気ショックやインスリンショックの他にも、冷水や熱湯をかける治療が精神障害者に行われていた。
また、大腸菌が脳に達すると精神病になるという考えから、精神病患者の扁桃腺や甲状腺を取ったりもしていた。
現在の人間に言わせれば、それは拷問・虐待以外のなにものでも無いのだが、他に治療法が無いので、当時は精神障害者に対して拷問・虐待のような治療が普通に行われていたのである。
■実話でアルジャーノン-ロボトミー手術の普及
1939年から第2次世界大戦が始まると、戦争の影響で精神障害者が増加の一途をたどり、州立精神病病院・国立精神病院は負担が増大した。
資料によると、1950年代の州立精神病院・国立精神病院の数352に対して、56万人の精神病患者が入院していた。1部屋に精神病患者数十人が押し込められており、治療も行われず、劣悪な環境だったため、チフスなどの病気が蔓延し、病気で死ぬ患者も多かった。
こうした状況下にあったため、精神障害者を退院させる事が急務であったが、精神障害者に有効な治療法は無く、精神病患者に電気ショックやインスリンショックといった治療が行われていた。
このようななか、前頭葉切除術(ロボトミー手術)が登場したので、ロボトミーは「魂への手術」「心の手術」として評価され、前頭葉切除術(ロボトミー手術)が広まっていったのである。
こうして、「精神外科(ロボトミー)」は精神病の画期的な治療法として各方面から歓迎されてアメリカに広まり、1940年代後半に前頭葉切除術(ロボトミー手術)の全盛期を迎えることになる。
前頭葉切除術(ロボトミー手術)を危険視するような意見もあがったが、黙殺された。必要なのは治療法だったのである。
1941年(昭和16年)には、精神病と診断されたローズ・マリー・ケネディが、父親の同意により、ロボトミー手術を受けたが、ロボトミー手術に失敗して廃人となった。
(注釈:ロボトミー手術で廃人となったローズ・マリー・ケネディは、後にアメリカ大統領となるジョン・F・ケネディの妹です。ローズ・マリー・ケネディの生涯については、「ロボトミー手術を受けたローズ・マリー・ケネディの生涯」をご覧ください。)
一方、考案者アントニオ・エガス・モニスは1939年に自身が手術を手がけたロボトミー患者に銃で撃たれ、下半身不随となり、1944年に精神外科から引退する。
他方、ロボトミーは世界中に広まり、日本では1942年(昭和17年)に新潟医科大学(新潟大学医学部)の中田瑞穂が日本初となるロボトミー手術を行った。
このようななか、全米を震撼させたアイスピックによるロボトミー手術「経眼窩ロボトミー(アイスピック式ロボトミー)」が発明されるのである。
「精神外科の歴史-ロボトミー手術の復活と現在のあらすじとネタバレ」へ続く。
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